綿矢りさ氏はロシアの文豪ドストエフスキーの系譜に位置づけられる作家であると筆者は認識している。それは、綿矢氏が悪の問題を正面から取り扱っているからだ。2011年以降に書かれた『亜美ちゃんは美人』、『ひらいて』、『憤死』(短中編集)、『大地のゲーム』は、いずれも人間と人間の関係から必ず生まれる悪とどう向き合うかについて、真剣に考察する中で生まれた作品だ。
綿矢氏は2001年、17歳のときに『インストール』で第38回文藝賞を受賞し、2004年に『蹴りたい背中』で第130回芥川賞を受賞した。当時、綿矢氏は19歳、『蛇にピアス』で同時受賞の金原ひとみ氏が20歳だったので、大きなニュースになった。両作品が掲載された『文藝春秋』2004年3月号は、増刷を行い119万5000部に達した。ちなみに『蹴りたい背中』は累計127万部に達しており、文字通りミリオンセラーである。
この小説は複数の読み解きが可能だ。素直に読めば、高校1年生の友人以上、恋人未満の関係を、感情の澱や襞を巧みに描いた恋愛小説ということになるのだろう。
主人公のハツは、クラスで疎外されているわけではないが、どのグループにもうまく加われない。彼女には、中学時代からの友人絹代がいる。高校生になって、絹代は男女混合グループに加わる。ハツもこのグループに誘われたが、断る。
〈私は、余り者も嫌だけど、グループはもっと嫌だ。できた瞬間から繕わなければいけない、不毛なものだから。中学生の頃、話に詰まって目を泳がせて、つまらない話題にしがみついて、そしてなんとか盛り上げようと、けたたましく笑い声をあげている時なんかは、授業の中休みの十分間が永遠にも思えた。自分がやっていたせいか、私は無理して笑っている人をすぐ見抜ける。大きな笑い声をたてながらも眉間に皺を寄せ、目を苦しげに細めていて、そして決まって歯茎を剥き出しそうになるくらいカッと大口を開けているのだ。顔のパーツごとに見たらちっとも笑っていないからすぐ分かる。絹代は本当はおもしろい時にだけ笑える子なのに、グループの中に入ってしまうと、いつもこの笑い方をする。あれを高校になってもやろうとする絹代が分からない。〉
高校1年生であるが、ハツには確固たる自我がある。他人に同調して自分を見失いたくないのだ。彼女は、〈高校に入学してからまだ二ヵ月しか経っていないこの六月の時点で、クラスの交友関係を相関図にして書けるのは、きっと私くらいだろう。〉という己を突き放した観察者でもある。
同級生のにな川智(さとし)は、オリチャンというモデルに熱中するオタクの傾向がある少年だ。ハツがにな川に、中学1年生のときに駅前の無印良品でオリチャンと偶然出会い、会話を交わしたことがあると伝える。それから、にな川とハツは急速に親しくなる。もっともハツは、にな川にとって〈“オリチャンと会ったこと”だけに価値のある女の子〉であることを冷静に認識している。自分の感情についてハツはこう整理している。
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source : 文藝春秋 2014年3月号