追悼の旅

日本再生 第49回

立花 隆 ジャーナリスト
ニュース 社会 国際 昭和史

 四月八~九日の日程で、天皇皇后両陛下がパラオ、ペリリュー島を訪問された。長らくお続けになってきた、戦後七十年の慰霊の旅の総仕上げだ。この島は全体が巨大な隆起性珊瑚礁である。海岸べりにある大慰霊碑は島全体の象徴でもある。お二人は、その前で日本から持参した白菊の花束を恭しく捧げられた。それが、考え抜かれたシンプルで美しいセレモニーの全てだった。慰霊碑越しに中部太平洋最後の激戦地アンガウル島が青い海の中に浮かんでいる様子がうかがえた。青い海とアンガウル島の対比はあまりにも美しく、「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」。天皇が出発前に空港で語られたお言葉が自然に思い出された。戦争を知らない若い世代の人々にも、あの言葉と、あの海の美しさには心打たれるものがあったにちがいないと思った。

 私は昭和十五年生まれだから、若くはないし、戦争世代でもない。のみならず、かつては天皇に尊称の陛下を付けることにすら抵抗感を持った世代だが、最近はそうでもない。敬語・丁寧語の一種として、国民のシンボルにつけても妥当な尊称だろうくらいに思っている。私はあの戦争をほんの片鱗だが、リアルに知っている。しかしペリリュー島の名は記憶の片隅にほんのわずかだけひっかかる程度にしか覚えていなかった。あわてて、防衛庁防衛研究所戦史室の『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦(2)ペリリュー・アンガウル・硫黄島』を引っぱりだして読んでみた。

 パラオ・ペリリューは、大戦当時日本の委任統治下に置かれていた。南洋庁が設置され、日本人が約二万五千人も住んでいた。戦争末期、フィリピン奪還をめざす米軍とそうはさせまいとする日本軍とが最後の死闘を繰り広げた場所でもあった。

 天皇訪問の前後、海岸に建つ独特の形をした慰霊碑が何度もTVに映るので、あれは何だろうと思った。あれは日本政府が作った、「西太平洋戦没者の碑」。作者は、建築家の菊竹清訓。菊竹はこの他にも南太平洋戦没者慰霊の碑、東太平洋戦没者慰霊の碑、北太平洋戦没者慰霊の碑を作っている。旧軍人会館(九段会館)隣の昭和館とあわせると、戦没者慰霊碑シリーズ(?)といってもいいような作品群だ。

 私はこの人の作品では他に、エキスポタワー、アクアポリス、江戸東京博物館、九州国立博物館などを知っているが、いずれも、時代を画すモニュメンタルな作品だ。先の戦争という日本の現代史を画す最も大きなできごとのモニュメントの作者としてこの人以上にふさわしい人はないような気がする。

 戦史叢書によってアンガウル島守備隊の最期を見るに、「米軍は(昭和十九年)十月十三日、熾烈な砲迫(火焔攻撃を含む)支援のもと、約二コ大隊をもって南北から総攻撃を開始した。(日本軍は)十月十九日夕以降北東方に向かい、企図を秘匿し匍匐による分散攻撃前進を開始したが、戦場心理のためか、分散した部隊は自然に密集してしまい、遂に米軍に発見され、再び機関銃、手榴弾等の集中射撃を受け、前進路付近の珊瑚亀裂中に転落する者を含み、死傷者続出した。同夜、後藤大隊長は遂に戦死し、ここにアンガウル島の組織的戦闘は終わり、守備隊の大部は玉砕するに至った」(抜粋)

 慰霊碑を大写ししたときに見えた大きく黒い珊瑚の結晶は、このとき続出した死傷者の魂のようにも見えた。

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source : 文藝春秋 2015年6月号

genre : ニュース 社会 国際 昭和史