国産旅客機MRJの初飛行は実に見事だった。テストパイロットが、「飛行機が飛びたがっていると感じた」という通り、ごく自然に飛び立っていった。それを見て日本の飛行機はやっと「空白の七年」のギャップを埋めたなと思った。
実はこの随筆とMRJは、妙なつながりをもっている。四年前、私がこの随筆の筆者に任ぜられたとき、担当編集者と語り合ったことは、いまの日本は暗すぎるということだった。バブル崩壊後のいわゆる「失われた二十年」がまだ続いていた。日本の未来にもっと夢が持てるような話題を積極的に取りあげようと意見が一致した。行き着いたのが、「鉄の十倍硬いのに重さは四分の一」という日本発の未来材料、炭素繊維の話であり、それを使う新型飛行機MRJの話だった。
それで行こうということになって、三菱重工の取材に出かけたのが、二〇一一年三月十五日、東日本大震災が起きて四日後だった。原発事故はすでに起きていたが、まだ深刻化していなかった。しかし放射能が間もなく東京まで到達するというウワサがネットに流れ、東京駅は大きな荷物を持って西下する親子連れでにぎわっていた。この日、三菱重工大江工場の見学までしたものの、夜になって「やっぱりMRJより地震だろう」と方針変更した。こういう経緯があったのでMRJ初飛行のニュースにはひときわ感慨が深かった。
私には、MRJ初飛行に感慨が深いもうひとつの理由があった。私は飛行機の歴史に妙に縁が深い。一時期私は東大駒場の先端研に身を置いていた。ここはかつての東大航空研究所。大正時代から日本の航空機研究のメッカだ。日本の航空機研究のすべての淵源がここにあった(軍の研究所より古い)。はじめての金属製飛行機を作ったのもここなら、金属製航空機を作るための金属材料・ジュラルミンの製造・圧延などすべての工程はここから発した。私がいた当時、これは工作機械ぐるみですべて残っていた。かつて東洋一とうたわれた巨大風洞もここにあった。それらの歴史的遺産を全部整理処分して、キャンパスの半分を生産技術研究所に譲りわたしてしまおうというのが、当時進行中の大学のプランだった。私は歴史は断固残すべしと考え、学生たちと、先端研探検団なるものを作り、学内に残る航空研の遺跡的部分の記録保存につとめた。これがやってみると、驚くほどの実りをもたらした。いたるところから、歴史的に貴重な事物が続々と掘り出され、その内容は、NHKと民放二局で番組化された。
日本の飛行機というと大半の人が思い出すのは、ハワイマレー沖海戦と零戦だろうが、日本には零戦以上に栄光に包まれたヒコーキ技術の歴史がある。なかでも特筆すべきは一九三八年に航空研究所の航研機が作った長距離無着陸世界記録だろう。それはまさにこの研究所で、エンジン、主翼などすべて手造りされた飛行機だった。そのあとも日本の航空機技術は航研機の後継A‒26による長距離世界記録達成(アメリカ渡洋爆撃可能)などに活かされている。日本は世界のトップクラスの技術を持ちつづけたものの、一九四五年、敗戦とともにすべてがゼロになった。占領軍によって、航空機の製造も研究もすべてが破壊され、禁止された(「空白の七年」)。航空研究所は閉鎖され、航空機と関係がない研究のみ許された。戦後、世界は飛行機輸送の時代、民間航空の時代になったが、日本だけは航空機の製造もエアラインの立ち上げも禁止され続けた。その間航空関係の研究者、技術者たちがどこにいったのかというと、大半が自動車産業に入っていった。
日本の自動車産業がなぜいま世界一なのかを調べていくと、必ず飛行機技術との結びつきがでてくる。トヨタ、日産、富士重工など日本の主要自動車メーカーの技術は飛行機技術者たちの流入によって水準が保たれたのだ。日産、富士重工の飛行機との結びつきは一般によく知られているが、実はトヨタの名車カローラ、スポーツ800もそうなのだ。ともに作った人は、戦争末期日本の空を跳梁する爆撃機B─29を迎撃できる唯一の高高度戦闘機キ94Ⅱを作った長谷川龍雄氏その人なのだ。
キ94Ⅱは完成したのが昭和二十年八月十四日。終戦の前日だった。そのため実戦には役立たなかった。ほどなくやってきた米軍調査団はこれを丸ごと押収していった。キ94Ⅱは高度一万五千メートル、時速七百五十キロで飛べた世界最新鋭機だった。これが量産されていたら、米軍にも相当の打撃を与えていたはずだ。
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