「在宅看取り率」70%未満は要注意!
およそ20年前、ケニアの離島で2年間を過ごした。医学部を卒業して2年しか経っていない「医師という肩書きがあるだけの医師」が水も電気もない地域で活動をしていた。
その離島では、「医療」を提供する前に、「生活」「当たり前の日常」を確保することがそもそも大変だった。病気のあるなしに関わらず、いかに毎日を普通に生きることが大変であり、また、それがいかに尊いことなのかということに気づかされ続ける毎日だった。
離島でほぼ全ての住民の血液検査をしていくと、HIVの感染率が約42%に上った。親がHIVに感染していた子どもたちの多くは、結果としてエイズ孤児になった。学校に行けないことはもちろん、住む家すらなく路上で生活することが当たり前。生活のために10歳前後の女子たちが売春をしていた。それが幸せか不幸かを評価する以前の問題として、そこにはその中でしか生きていけない現実があった。毎日が「生」そのものであり、一方で日常に「死」があふれていた。
今、私は江戸川区という東京都の東の端の地域で在宅診療をしている。昨年は約250人の方々のお看取りを自宅で行った。ケニアの離島と同様、今の私の日常にも常に「死」が寄り添い続けている。ケニアでの現実と私が今関わっている在宅診療での現場に共通するのは、必ずしも「死」が不幸せとは言えないと感じることだ。冒頭に述べたケニアの現実のなかで、多くの人たちの日常の生活は笑顔であふれていた。そして、今、私が在宅診療を通して関わっている患者やその家族も笑顔に包まれながら最期のときを迎えることがほとんどだ。
もう1つ共通していることは、人はどのような環境でも「自然な最期を迎えられる」ということだ。エイズで最期を迎えることが自然なのか、と思うかもしれない。エイズや末期がんで亡くなること、それは「病気」というプロセスを経過しており、「老衰」という自然死ではない。しかし、病気だろうが、老衰だろうが、それが何歳だろうが、「人はいつかは死ぬ」という真実の前では全てが「自然」であるように思える。
この仕事をしていると、人は病気になったから不幸せなわけでもなく、長生きできなかったから幸せではなかったということでもない、といつも感じる。病気で亡くなることで、他の人と比べて短い人生の時間であったとしても、「どう生きたか」「どう最期を迎えることができたのか」、そのような問いに対する答えに人が感じる幸せの原点があるのではないだろうか。
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source : 文藝春秋 2023年9月号