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世界的アーティスト・塩田千春さんに密着したベルリン出張

編集部日記 vol.7

エンタメ アート

 4月18日火曜日。仕事を終えた私は、夜の成田空港へ向かいました。傍らの大きなスーツケースは、5泊分の洋服の割に重い。中には図録や本が詰まっています。

 初めての海外出張を前に、少しの緊張と大きな期待を胸に乗り込んだ飛行機は一路ドイツへ。小誌巻頭グラビア企画「日本の顔」の撮影とインタビューのため、ベルリンにアトリエを構える現代アーティスト・塩田千春さんを訪ねたのでした。

 いつもの記事作りでは、一人の方と行動をともにし、何日間にもわたってお話を聞くことはなかなか難しく、今回の“密着取材”はとても貴重な機会。期待とともに、プレッシャーも膨れ上がっていました。

「『作品暗く、性格明るく』ってね(笑)」

 取材中、塩田さんはたびたびそう口にされていました。 

 たしかに、空間全体に緻密に赤や黒の糸を張り巡らせた塩田さんの作品に宿る緊張感と熱量にはいつも圧倒されます。1989年に崩壊することになる「壁」によるベルリンの東西分断に影響を受けた作品が多く、その歴史もまた、時に塩田さんの作品を“暗く”見せるのかもしれません。

塩田さんのアトリエには、これまで、これからの展示会の作品が並ぶ

 インタビューで飛び出したのは、日本の美大を卒業後、憧れのアーティストに師事するため一人ドイツの大学に向かうも、待っていたのはまったくちがう先生だったお話、その先生の授業で行われた1週間の断食(食事だけでなく、会話もしてはいけない)に、頭からかぶった絵具が髪と皮膚を焼いたこと……。

 塩田さんが「思い通りの人生ではなかった」と振り返る歩みの壮絶さは想像を軽々と超える一方、冒頭の言葉の通り、ご本人は一週間の取材中、終始おだやかで楽し気。撮影を予定していた日以外にも、初めてベルリンを訪れた私のためにわざわざ市内を案内してくださいました。

 約300平米の広大なアトリエには5人のスタッフが集い、時ににぎやかに、時に黙々と作業をしています。そんな様子も撮らせてもらっていましたが、どうも、視界の端をちょこまか動き回る影が気になる。振り返ってみると……そこには子犬が! ふわふわしたぬいぐるみのように小さな犬が、黄色いボールを追って作品の間を縦横無尽に走り回っていました。名は「エスラ」。女性スタッフの愛犬エスラもまた、アトリエの一員として時にはしゃいでボールを追い、時に疲れたように隅でちんまり平たくなっていました。

 正午になると三々五々、隅の白いテーブルに集まってきてランチタイムが始まります。ふだんは各自がお弁当を持ち寄ることが多いそうですが、この日は私たちのため、ピザを注文してくださっていました。6人の話題は好きなピザから丈夫な糸についてまで多岐にわたりますが、なかでも印象深かったのは作品について聞いた時のこと。

「作品はすべて解体して運べるもの。このアトリエのドアは狭いから、大きくて重たいものは好きじゃなくって」

 あっけらかんとそう言ってのける気負わない塩田さんの姿に、愛される理由を垣間見た気がしました。

 ちなみに、作業時間は平日の午前9時から午後4時。日本のように“残業”することもなく、アトリエに行かない日すらあるそう。「みんな無理はしない。人を縛ると自分も縛られるから」とその理由を明かしてくださいました。

 ご家族と過ごす時間を撮影している中でも、夫サニー・マンさんとの掛け合いのような会話が印象的でした。自宅のほど近くで飲食店を営むサニーさんのことを、「筋トレの成果を見せたくて、冬でもタンクトップなのよ。上からエプロンをつけるから、裸エプロンみたいでしょ?」とからかいながらも、「ここは彼のステージだから、代わりの人はいない」と声をひそめる様子には、サニーさんとそのお仕事へのたしかな敬意を感じました。

 今回、密着する中で見えてきたのは、塩田さんがどんな輪にもすっと馴染み、会話する姿です。そしてその輪からはたいてい、笑い声が聞こえてくる。インタビューの中で、「(空間を使ったインスタレーションの)創作にはその場所に宿る物語が命」とお話しされていましたが、場所だけでなく、一人ひとりを大切に、彼らの持つ物語を尊重する姿こそが塩田さんを世界的なアーティストたらしめているのではないかと思いました。

撮影後には、カメラマンと手のひらよりも大きなシュニッツェル(手前)とホワイトアスパラガスのソテーに舌鼓を打ちました

(編集部・神山未月)

source : 文藝春秋 電子版オリジナル

genre : エンタメ アート