愛と孤独と相続と

東畑 開人 臨床心理士・公認心理師
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『ふつうの相談』という新しい本をこの夏に出したので、それについて書きなさいというのが編集部からのオーダーだったのだが、どうしてもそういう気分になれなかったので(やっと手を離れて、スッキリしていたところなのだ)、全く別の話をしたい。そう、相続について書いてみたい。

 私の本業は町の心理士で、東京の一角にカウンセリングルームを開業している。日本ではまだあまり馴染みのない業態だと思うのだが、その大きな特徴は、いわゆる医療機関とは違って「心の病気」だけを扱うわけではないことだ。たとえば、子育て、夫婦関係、不倫、転職、介護。さまざまな「人生」の問題も持ち込まれる。

 その中の一つに相続をめぐる相談がある。これから相続を行わねばならない高齢者とカウンセリングをすることもあれば、親からの相続を待つ子ども世代とカウンセリングを行うこともある。いずれにせよ、そこで問題になっているのは、財産の話であり、ファイナンシャルプランニングの話であり、税金の話であるので、町の税理士の担当分野に思われるかもしれないが、そうじゃない。相続とは愛の物語の最終章に他ならない。抱えてきた愛の傷つきが人生の終盤にもう一度試され、孤独の試練に耐えねばならないのである。

 ご存知の通り、シェイクスピアの『リア王』はそういう物語だ。

「わしの固い決意は、この老いの身の肩から国事の煩いや責務のことごとくを振りはらい、若い世代の力に一切を託して身軽になり、心しずかに死出の旅路につきたいということだ」(野島秀勝訳、岩波文庫)

 隠居を決めたリア王は、3人の娘に自らへの愛がいかばかりのものかと問う。長女ゴネリルと次女リーガンは形式通りのおべんちゃらを言うが、末娘コーディリアは愛を仰々しい言葉にすべきではないと思い、多くを語らない。これにリア王が激怒して、コーディリアを追放するところから、悲劇が始まる。権力を手放したリア王は、ゴネリルとリーガンに裏切られ、惨めな境遇になる。そして、なんだかんだあって、結局家族全員が死んで、幕は閉じる。

 心理士として思う。愛を直接的に求めてはいけない。それは必ず、不信を生み、人を孤独にする。愛はその存在を間接的に確かめるに留めるべきなのだ。この観点からすると、一番悪いのは言うまでもなくリア王だが、二番はコーディリアだ。リア王は相続に直面して、異常に愛を欲している。権力を放棄することで、誰も自分を愛さなくなるという不安に苛まれているのだろう。これはわかる。王になるからにはそれなりに狂おしい戦いがあり、愛を疑う心が彼の根底には潜んでいたのだと思う(そう言えば、劇中、彼の妻は不在だ)。

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source : 文藝春秋 2023年10月号

genre : ライフ 読書 人生相談 ライフスタイル