好きなことを好きなだけ

由井 緑郎 PASSAGE by ALL REVIEWS社長
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 本誌に「菊池寛 アンド・カンパニー」を連載中の仏文学者・鹿島茂が僕の父だ。僕自身は、いまは神田神保町すずらん通りに店を構えるPASSAGE by ALL REVIEWSという共同書店の代表をしている。

 2016年の「菊池寛賞」のパーティーに参加させてもらったときのことだった。父と「ここにいる大勢の批評家や作家、書評家が書いた書評が、一箇所に全部集まったらステキだね」と話したのが「書評アーカイブWEBサイト」〈ALL REVIEWS〉の創設につながった。書き捨てで顧みられなかった「書評」を、書き手の許諾を得てWEBサイトに再掲、そこからECサイト経由で書籍が購入された場合、書籍価格の数%を書き手に還元するというシステムを思いついたのだ。書評家でもある父との対話を重ねる中で練り上げられ、彼の要望を取り入れつつシステムは発展していった。いまや参加していただいている書評家は100名を超え、ALL REVIEWSは、日本を代表する書評家たちのアーカイブメディアとなった。

「それぞれの居場所にしてほしい」と「いらっしゃいませ」は言わないそう(撮影=細田忠)©文藝春秋

 その実店舗として昨年3月に開店させたのがPASSAGE by ALL REVIEWSである。店の本棚を1棚単位で貸し出す「シェア(共同)型」書店で、ALL REVIEWSからは父を始め、學魔・高山宏さん、書評家の豊﨑由美さん、歌人の俵万智さん、翻訳家の柴田元幸さんなど、多彩な方々に出店していただいている。棚数は同ビル3階の支店「PASSAGE bis!」と合わせると450を超え、2023年8月現在、世界最大のシェア型の書店である。いずれも鹿島茂をプロデューサーとして迎え、彼の構想を、僕がITの知識を活かし具現化したものだ。

「翻訳家の柴田元幸さんの棚もいつも人気です」(撮影=細田忠)©文藝春秋

 鹿島茂のことを偉大な人間であると思っている。一方、僕は父の存在を長いあいだ受け入れることができずに苦しんできた。なぜなら、鹿島茂は「本という悪魔」と契約を交わした求道者のような存在で、その求道の過程において家族が犠牲にされたからだ。子どもたちは、負の感情とともに乱雑に積まれた本の隙間でいつも息を潜めていた。「本でできた監獄」の中に僕の幼少期は存在し、ほの昏いその場所で心を開ける相手は皮肉にも本しかいなかった。

店員にも人気の高い楠木建氏の書棚。「いつも沢山の本を抱えて来てくれます」(撮影=細田忠)©文藝春秋

 当然ながら僕はそんな生活を家族に強いた父を憎んでいた。しかし僕は、父が「鹿島茂」になっていく過程を至近距離から見続けていた熱心な観客でもあった。無尽蔵な好奇心に衝き動かされ、「好き」を極め、筆一本で成功をつかみ取っていく男の熱狂的物語。やがて僕は鹿島茂のようになりたいと思うようになった。彼のように我を忘れて熱中し続けたかった。けど、そうすると大切な何かは、壊れてしまうのではないだろうか? 彼から忘れられた僕たちは何だったんだ。相反して揺れ動く感情のなかで僕は何者にもなれず大人になっていった。就職をして結婚をしても、その生きづらさがなくなることはなかった。

「作者の星座と本の言葉で選ぶユニークな棚。プレゼントに買っていく人も多いです」(撮影=細田忠)©文藝春秋

 子どもがうまれた頃から父と仕事をするようになり、僕は子育てをしながら「鹿島茂」の仕事を間近で見ることになった。父と子と、彼らふたりと時間を過ごすにつれようやく僕は「鹿島茂」から解放され、何者かであろうと自分を縛ることが少なくなっていったように思う。なぜなら、子からの愛は無償のもので、父は子に、何者かであれなど思うはずもない。ただそのまま、すこやかでいてほしいと願うばかりだったから。

「父になって初めて父の気持ちが分かりました」と笑う由井さん(撮影=細田忠)©文藝春秋

「楽しいと思うことを、ずっとしていてね。どんなときでも君らしく、この世界を楽しんでいてね」そうか、これが父が息子に伝えたいことだったのか。その実感を、僕はようやく得ることができたのだ。

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source : 文藝春秋 2023年10月号

genre : ライフ 読書 ライフスタイル