今月の「文藝春秋」(5月号)のページをめくっていただくと、真ん中あたりに「昭和海軍に見る日本型エリート」というタイトルで、30ページを超える大座談会が掲載されています。太平洋戦争下、海軍のエリート軍人たちが、なぜ道を誤り、日本を敗戦に導いてしまったのかを徹底的に討論した企画です。
「今さらなぜ昭和海軍?」「古臭い話では?」と、疑問に思われる読者もいるかもしれません。しかし、当時の海軍軍人たちの人物像や行動様式を深掘りしていくと、彼らの問題点が現代の官僚組織や大企業が抱えているものと驚くほど似通っていることが分かります。
座談会の参加者は、昭和史研究家の保阪正康さん、元自衛隊統合幕僚長の河野克俊さん、大和ミュージアム館長の戸髙一成さん、サントリーホールディングス社長の新浪剛史さん、経営学者の楠木建さんの5名です。
皆さん、海軍について該博な知識を兼ね備えた方ばかり。白熱した議論を聞いているうちに、歴史の教科書で名前しか知らなかった海軍軍人たちが、たちどころに人間味のある人物として浮かび上がってきます。
芸者遊びが好きな「非エリート」でありながら、総理大臣にまで上り詰めた米内光政。実務は部下任せ、昭和天皇にも嘘の報告をしていた嶋田繁太郎。今も「理想の上司」として人気がありながら、実は優柔不断だった山本五十六などなど。
座談会では総勢40名近くの個性豊かな軍人が登場しますが、そんな中で、参加者の皆さんが口を揃えて「変人」「異端児」と評した人物がいます。
黒島亀人。海軍兵学校44期、最終階級は少将。恥ずかしながら、私は今回の座談会で初めてその名を知りましたが、話を聞いているうちに、その異様な存在感が頭から離れなくなりました。
真珠湾への奇襲計画を主導したのは、この黒島でした。ただ、連合艦隊では孤立しており、食事にも出てこず、部屋を真っ暗にしながら、裸で毛布を被り、一人で作戦を練っていたそうです。功名心が異常に強く、秋山真之に憧れて、あえて自分が奇癖の持ち主であることを周囲にアピールする節もあったとか。坊主頭で瘦身の風貌からついた渾名は「ガンジー」。実際に黒島の顔写真を見てみましたが、なるほど、人を食ったような表情を浮かべ、何を考えているのかよく分からない不穏な雰囲気が漂っています。
一方で山本五十六は、そんな「変人」である黒島を重用し続けたそうです。果たして組織のリーダーは「変人」や「異端児」をどう活用すべきか、これは現代の企業や官僚組織にも通じる普遍的な問題だと思います。
新浪さんは座談会でこんな指摘をしています。
「組織には金太郎飴の人材ばかりではダメで、変人も必要です。(中略)『10のうち1つが物凄く輝く』というタイプですが、大抵は10のうちの9を見て判断してしまう。この1つの輝きを見出して活かすことが大切だと思います。また、そういう人材は周囲と軋轢を生むので、フォローに回る人間を配置することも重要です」
私が勤める「文藝春秋」にも、黒島ほどではないですが、変わり者はたくさんいます。そんな人に限って、上司の言うことに縛られず、自由に振舞っているように見えるので、羨ましく思うこともありますが、新浪さんの発言を聞くと、経営者にとっては、話がそう単純ではないことがよく分かりました。
(編集部・祖父江)
source : 文藝春秋 電子版オリジナル