国語辞典編纂者の飯間浩明さんが“日本語のフシギ”を解き明かしていくコラムです
少し前になりますが、7月20日のテレビ朝日系「池上彰のニュースそうだったのか!!」で、「日本」にニッポン・ニホンの両様の読み方があるのは「江戸っ子のせい」だと紹介されました。
〈諸説あるんですけど〉と前置きの後、〈ニッポンって言っていた時代、江戸時代、せっかちな江戸っ子が早口で話しているうちにニホンとなって広がっていったとも言われている〉とのこと。
私はこれに強く反応しました。まともな研究者なら瞬殺する、こんな怪しい説を「諸説」のひとつに加えてはいけません。テレビ局は「諸説」を免罪符に面白おかしい説を流すべきでない、という趣旨の発言をSNSに投稿しました。
これは日本語史の基礎に関わります。「日本」の読みをニッポン系、ニホン系に二分すると(つまり細かい違いを無視すると)、ニッポン系は古代からありました。ニホン系も、私は平安時代からあっておかしくないと考えますが、証拠があるのは16世紀末から。長崎などで刊行されたキリシタン資料にNifonとあります。これはニフォンと読み、当時の日本語の発音を反映しています。
このニフォンが江戸前期にニホンになるのです。「ならば江戸っ子が変えたのでは」と言われそうですが、日本語のfがhに変化する動きは、江戸前期の京都の資料でまず確認でき、少し遅れて江戸の資料で確認できます(有坂秀世『国語音韻史の研究』)。京都に江戸っ子はいないので、江戸っ子は無関係です。
学問の基礎を無視した俗説を、あたかも有力な「諸説」のひとつのように扱って放送すべきではありません。ニホンの発音の由来がどうであろうと、それで人死にが出るわけではないけれど、「どうでもいい」の積み重ねが、事実に対する感度を鈍らせてしまいます。
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