「平凡寺」という謎

荒俣 宏 作家、博物学者
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 明治以来、日本に新しいタイプの奇人が世間で取りざたされるようになった。

 世の中があまりに覇権主義になり、何の競争でも勝てばよいという風潮が強くなりすぎたので、政治や経済の「権力者」に媚びず、自立と無私を実践している「偉い人」はいないのか、という機運が生まれたことと関係がある。金欲も色欲も出世欲もなく、ひたすら自然と民衆を愛し、何かに打ちこんで知を磨く「孤高の人」、まさに仙人だが、それでは定義がむずかしいので、分かりやすい「変人・奇人」が注目されるに至った。たとえば、南方熊楠、すこし風流っ気のある淡島椿岳などだ。要するに、社会の利害関係に関係しなかった文化人や趣味人だ。

 じつはこの待望論は、西洋世界でも盛り上がっていた。ときあたかも20世紀が明けた頃、文明国同士の政治経済的競争が熾烈で、世界も各国のエゴが衝突し、分断・分裂の様相を呈していたが、ここで、芸術家やスポーツマン、あるいは趣味家という、実利追求の枠から外れた民間人が世界の再統合に立ち上がった。わかりやすい例はクーベルタン男爵だろう。オリンピック・ゲーム復興を実現し、世界をスポーツでつないだ。有名ではないが、ヘンドリック・アンダーソンという北欧の彫刻家も、世界を文化・芸術で統合する「人類の首都」をアメリカに築く計画を立て、アメリカもロシアもアジアも実現に協力した。もし第一次世界大戦がなければ、人類の首都は実際に完成したのではないかといわれる。

 そこで、日本だが、そういうワールドワイドな人類の再統合を、“趣味・道楽”で連合させる組織を提唱し、「我楽他宗」すなわちガラクタ宗を名のる集団を創設した人がいる。名を三田平凡寺、本名を三田林蔵という。東京は三田、泉岳寺そばにある材木屋の主人だった。子どもの頃に事故で耳が聞こえなくなり、以後は筆談で会話したので、まずは蒐集家平凡寺の面目躍如、そのとき書いた筆談の紙を山のように集めた。また、髑髏や〇〇など気味悪い物をはじめ、帰依者から“寄進”されたものを何でも保存し、だれにも提供した。みずから「趣味山平凡寺」と寺号を名のり、仏道に倣った会の規約は、趣味を通じて平凡に仲よく生きること。とくに「ブル」と「ガル」、すなわち偉ぶるの“ぶる”、偉がるの“がる”はご法度だった。

荒俣宏ほか著『非凡の人三田平凡寺』(かもがわ出版)

 しかし、この奇妙な趣味マニアの宗派が、平凡どころか世間でも高等な文化人名士を呼び集めた。たとえば元福井藩主の血筋である松平康荘(まつだいらやすたか、木魚など蒐集)、芝浦製作所の技師で万物のごみを集めた鎮目桃泉(しずめとうせん)など、外国人ではフランク・ロイド・ライトの助手だった建築家アントニン・レイモンド、日本の民藝運動に関心を寄せたインドのグルチャラン・シンなどの大物が大挙して入信した。しかも外国人会員の多くが、当時世界を席巻していた新・世界宗教、「神智学(テオソフィー)」の会員だったことにも驚く。あの“大霊能者”ブラバツキー夫人が開いた会だが、すぐにオカルト教団ではなくなって仏教と西洋理知を結合した全世界を包む新宗教に変身しており、その大幹部、オルコット大佐も来日して話題を呼んだ。大佐と歓談した名医ベルツ博士も整然たる教義に共感したが、指にはめた金の指輪を示して、ブラバツキー教祖が目の前でバラを金に変えたときの実物です、といわれて大いに閉口したとかいわれる。

 ではなぜ、世界を平和裡に統合する理想に燃えた外国人が、ガラクタ集めの平凡寺に帰依したのか。平凡寺の孫の夏目房之介さんも、そこが最大の謎だという。ただ、ヒントだけはある。たとえば、平凡寺は科学時代になった戦後、ロケットで宇宙に出て各惑星に札所を建て、宇宙共通の平等で平凡な世界を創ると宣言した。

 その一文は大略こんな具合である。「地球には“国”という区別があるが、これは人がこしらえたものだ。いっぽう“趣味”にその隔てがないのは、自然が産んだものだからである。国を取ったり取られたりするのは利己主義という病の結果だし、趣味についての“人の争い”は、堕落した個性という病から起こる。無数の細胞があつまって一個の人をつくるように、わが我楽他宗もともに地球に籍を置く小さな無機物有機物として、“趣味”でこの世を統合させたい。手始めは、まず世界の知恵を一つに集めること、そして星から星をつなぐ懸け橋となる空気の脈を発見し、月を化学で練り直して宇宙を行き来できる航空船に作りかえ、太陽熱を動力に使ってあらゆる星を巡り、新たな星を発見して、我楽他宗の各末寺に星を一つずつ割り当てて、宇宙と我とを合体しようではないか」(昭和20年10月)

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source : 文藝春秋 2024年11月号

genre : ライフ 読書 ライフスタイル 歴史