河合隼雄 母性原理の日本人

河合 俊雄 長男・京都大学名誉教授
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河合隼雄(1928〜2007)は日本人として初めてユング派分析家の資格を取得。日本の臨床心理学の礎を築き、ユング心理学を広く文化に応用した。長男で臨床心理学者の河合俊雄氏が、足跡を振り返る。

 河合隼雄は、日本が戦後における高度成長期を経て経済的繁栄を得ると同時に、伝統的な社会から近代社会に変化していく時代の要請に応えて活躍した臨床心理学者であり、心理療法家である。それは変化による社会の歪みのために、人びとが様々なこころの問題に直面し、心理療法へのニーズが高まったためであり、肯定的に述べるなら物の豊かさが満たされた後に、こころの豊かさが問われるようになったためでもある。

河合隼雄 Ⓒ文藝春秋

 彼の人生における歩みも、時代の変化と重なっている。軍国主義日本の非合理さに反発し、西洋の合理主義とサイエンスに憧れ、京都大学で数学を学ぶ。しかし高校教師を務めて生徒の悩み相談に接して心理学に転じ、カリフォルニア大学留学を経て、偶然にユング心理学に出会った。最初は夢分析を非合理なことと批判していたが、自ら分析を受けてその意味を認めた。チューリッヒでユング派分析家の資格を得て、昭和40(1965)年に帰国する。

 帰国後にまず直面したのが、不登校の子どもの問題である。それに対しては、箱庭療法という、内側を青く塗った砂箱にミニチュアのおもちゃを入れて風景などを作るユング心理学の技法を導入した。ユング心理学的には、こころは言語ではなく、夢などと同じようにイメージとして表現されて変化していく。それに加えて、ものに魂を認め、生花や茶道などのように芸術によって修養し、自然をミニチュア化するという日本の伝統に箱庭療法がマッチしていることに河合隼雄が気づいて用いたことも重要であった。さらに、集合的無意識という個人を超えたこころに注目するユング心理学の視点から、不登校などの症状の背後にあるものとして、西洋の父性原理ではなく、母性原理に基づいている日本人のこころや社会のあり方を解明した。

 後に日本の昔話や神話の解釈によって、日本人のこころの特性とその自己実現のあり方を描き出し、大佛次郎賞を受賞した『昔話と日本人の心』(昭和57年)や晩年の『神話と日本人の心』(平成15年)などの著作に結実していく。つまり確立された男性的な自我を中心として、それが無意識を象徴する異性像を統合するという西洋の心理学とは異なり、日本人の自我は女性として示される。また、日本神話で3人組の神のうちの1人が、例えばアマテラスとスサノオと組になるツクヨミのように無為な存在であることがしばしば見られるので、こころや社会の中心は中空と考えられるなどという見方を提唱し、日本の社会論や文化論として大きな影響を及ぼした。これが後の国際日本文化研究センター所長や、文化庁長官としての活躍につながっていく。また「物語」は彼の心理学のキーワードとなる。

 多面的に活躍しても、あくまで心理療法をベースにしていた河合隼雄は、それを広めると同時に、心理療法家の養成と専門性の向上、それに伴う国家資格の確立に向けて尽力した。生前には実現せず、現在の公認心理師は河合隼雄の構想より独立性が薄いかもしれない。さらに阪神・淡路大震災後のこころのケアや、スクールカウンセラー制度の確立にも大きく貢献した。元々の心理療法は主体的に通ってきて、自分で料金を支払う人を対象としていた。彼が公的な支援としてのアウトリーチの心理療法の重要性に気づき、その制度を導入したことは、未来における心理療法のあり方を示唆している。

河合俊雄氏(本人提供)

 新潮学芸賞を受賞し、女性像に注目した『明恵 夢を生きる』(昭和62年)の執筆を通じて、河合隼雄は仏教の重要性に気づいていく。西洋で心理療法を学んだにもかかわらず、日本人のこころの解明や、それに適した心理療法をまず提唱した。そして自分の心理療法やこころの捉え方は人類にとって普遍的な意味を持ち、海外でも伝えていく必要があると考えるようになる。それを華厳経の考え方を元に構想していくようになり、『ユング心理学と仏教』(平成7年)などを著したが、その試みは道半ばに終わったかもしれない。

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source : 文藝春秋 2025年1月号

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