続々と浮かび上がる容疑者
「スターズ・アンド・ストライプス」は1月28日付でも続報を掲載。「捜査が絞り込まれた」との見通しを示した。そこでは、豊島区に犯人に似た歯科医がいるという情報や、現場の外に2人組の男がいたという目撃情報を伝えている。朝日、毎日、読売も同じ目撃証言や他の不審者情報を載せている。読者には事件解決が近いように思えたかもしれない。
実際、翌1月29日付朝日は2面トップで「捜査線上に有力容疑者 同様犯罪の前科者」の見出し。「既定の捜査線上に有力な容疑者が浮かび上がり」とし、医師を父に持ち毒物の知識を持つ元銀行員を挙げている。
読売も同じ日付で「犯人浮かび出る」と報道。警視総監と出射・東京地検刑事部長の「今有力容疑者1名を追及中であり、これが真犯人とすれば、逮捕は時間の問題」との談話を載せたが、「防疫関係者と断定」という見出しを見ると、朝日とは別の人物を想定していたようだ。
類似点の多かった「松井名刺」事件
しかし、重要なのは3紙とも書いた前年のもう1つの未遂事件の方だった。朝日の記事は――。
昨年(1947年)10月14日午後3時ごろ、品川区平塚3ノ722、安田銀行荏原支店に「厚生技官松井蔚」という名刺を持った男が渡部支店長に面会を求め、「水害で悪疫が流行したので防疫に出張してきた」と語りながら、同区荏原小山3丁目のマーケット裏に水害地から避難してきた母子が腸チフスになり、付近に集団チフスが続発したので、きょうその筋から消毒に来るが、その前にこの予防薬を飲むようにと2つのビンに入った水薬を差し出し、この薬は歯のホウロウ質を痛めるから、舌の上に乗せてぐっと一気に飲むようにと言い、自分も飲んで見せた。居合わせた行員15、6人のうち4、5人が飲んだが何ともなかった。様子がおかしいので小使が近くの交番へ発疹チフスのことを言いに行くと、居合わせた飯田巡査がそれは初耳だと銀行にやって来て、その男にどこに発生したのかと聞いたが、消毒の車が出入りするからすぐ分かると答え、そわそわしながら帰って行った。
朝日の同じ紙面には「名刺の主 松井博士上京」の記事も。親類の不幸で勤務先の仙台から上京。次のように語った。
「昨夜のラジオで初めてこの事件を知り、昨秋私の名刺が問題になったときと全くよく似た事件なので驚いた。いままでに言われている人相にはまだ心当たりはない。私は昭和17(1942)年春、南方に行き、シンガポール、スマトラの軍政部に勤め、ジャワのパスツール研究所で終戦を迎え、終戦後引き揚げてきたが、その後ずっと仙台に勤務しており、私が名刺を渡した男は東京方面でそう多くはいない。ジャワ時代多くの部下を使っていたので、その時分の質の悪い衛生兵などが悪用しているようにも考えられる」
松井博士は名刺を交換した相手の名前を記録する習慣があり、それが平沢元死刑囚の逮捕につながる。