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料亭に刑事たちの「決死隊」が…

「女装した不敵の兇漢 『森上健次』今曉(暁)神(神)戸で逮捕 料亭『星の家』に躍り込んだ決死の刑事隊 二番手として三百の警官隊」。こんな見出しが躍ったのは12月12日発行13日付大朝夕刊。記事はほぼ社会面全面を覆っている。

ピス健は女装で逮捕された(大阪朝日)

 兵庫県警察部は11日、加古郡高砂町(現高砂市)、医師石山薫方を襲ったピストル強盗犯人検挙のため、全市にわたり非常警戒をしていたが、往年希代のピストル強盗として世間を騒がせた森上(または守神)健次こと、神戸市布引町3ノ2、当時住所不定、大西性次郎(39)の仕業でないかと同人の行方を大捜査した結果、(大西は)12日午前4時半、ついに神戸三宮警察署員に逮捕された。すなわち、12日午前2時より、三宮警察はじめ全市の警察、その他、本部刑事課員ら数百名の緊急動員を行い、全市に蜘蛛の巣のように非常線を張った。4時15分、神戸市北長狭通り3、小料理屋「星の家」こと宇田茂八方に入り込んだことを探知。三宮署と本部刑事課の計12刑事が決死隊となり、二番手として300名の警官が十重二十重に星の家を包囲した。4時30分、いよいよ同家に乗り込み、2階奥の四畳の部屋に布団を被って熟睡中の性次郎を逮捕しようとしたところ、性次郎は早くも目を覚まし、布団を蹴って立ち上がった。ところが、当の性次郎と思いきや、意外にも大ハイカラの女装姿で黒繻子(くろじゅす=黒いサテン)の襟を掛け、大島(紬=つむぎ)の袷(裏付きの着物)に黒繻子の帯を締めており、「捕らえてみるなら捕らえてみよ」とピストルの筒口を向けた。間一髪、刑事が後方から外套(がいとう=コート)を頭から被せ、ついに12刑事が折り重なるようになって逮捕した。

 まさに芝居のようだが、歌舞伎のような伝統芸ではなく、投げ銭が舞う大衆演劇の感じ。突入して逮捕した「決死隊」の刑事3人はこう語っている。

「乱闘となり、13名が一塊になってくんずほぐれつの数分間、さすがの性次郎も組み伏せられ、後から乗り込んだ平田刑事課長が自ら捕縄を掛けた。あまりの乱闘に性次郎はその場で一時気絶したが、私どもが葡萄酒を飲ませて蘇生せしめ、十数名でかんじからめにして担ぐように三宮警察署に連れ込んだ」(12月14日付國民新聞朝刊)

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「黒繻子」というのは「粋な年増」の服装なのだろう。「大ハイカラ」は「極めて今ふうの」というようなことか。この記事にある高砂町の事件は別人の犯行だったようだ。

逮捕時のピス健(左側、週刊新潮より)

 記事はさらに次のようなことを報じた。

1、神戸に入り込んだ目的は、かねて自分に尾行を付けていた兵庫署のやり方を恨み、署長を殺害しようと計画した

2、捜査の目をくらますため、大阪で女装用の「ハイカラかつら」を購入した=「捜査と防犯」の捜査報告書には代金16円50銭(現在の約2万6000円)とある

3、「かねて決意するところがあった加藤(高明)首相、若槻(礼次郎)内相(のち首相)の殺害をもくろみ」、永田町の官邸付近を狙ったが、すきがなくて目的を達することができず、次いで大金を手にしようと日銀本店と同大阪支店を襲う計画を立てて機会を狙ったが、これも果たさなかった

4、取り調べが終わってからは、留置場でグウグウと高いびきで昼寝をして度胸のあるところを見せた

 このうち、3は刑事を通じて聞いたピス健の供述内容をそのまま書いたのだろう。というのは、記事の通りだと、首相や日銀を狙った期間は少なくとも2週間以上になる。ところが実際は神戸に上陸してから京都の質店を襲うまでは9日しかない。

 ピス健はたびたび「大官を狙った」と語っており、そのまま確定的に書いた資料も多いが、どこまでが事実か怪しい。森長英三郎「史談裁判」(1966年)も、首相や日銀襲撃について「真偽のほどは分からない」としている。