『あのこは貴族』『ここは退屈迎えに来て』など、数々の作品を世に送り出してきた作家の山内マリコさん。
ここでは、山内さんが2013年から2017年まで雑誌 『an・an』に連載していた同棲や結婚に関するエッセイをまとめた『結婚とわたし』(筑摩書房)より一部を抜粋してお届けする。
20代後半で始まった同棲生活。立ちはだかった壁は「家事分担の不平等」だった――。※〈〉内は文庫化にあたり加筆された、筆者による後日談。(全3回の1回目/続きを読む)
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同棲、はじめました
すべてのはじまりは2009年。あの夏のことは忘れもしません。彼氏はおろか男友達の一人もおらず、文学的ニート状態だったため気軽に話せる同僚的な男性もいないという日々が3年続いた夏のある朝。自分の20代がこのまま、ビキニの1つも着ることなく終わろうとしているのだと気づき、わたしは死に近い恐怖を感じました。
永遠に終わらない気がしていた有り余る若さの日々が、終わりかけているなんて―。
根っからの文化系のため、部屋にこもって愛猫チチモを撫でながら、映画を観たり本を読んだりしていれば幸せだったものの、気づいたら20代最後の年。わたしはようやく内なる声をはっきりと聞いたのでした。
「彼氏が欲しくて死にそうだ」
恋愛至上主義ではないものの、体の底から突き上げてくるピュアな欲求はもはや自分の手に負えない。圧倒的に遊び足りていないことにはたと気がつき、急に若さが惜しくなり、焦りに焦ったのでした。
とりあえず取っ付きにくいビジュアルをなんとかしなくてはと、チャラくなることを決意。「ミステリアス」と褒めそやされたこともある黒髪ロングヘアーを軽薄な茶色に染め、死守してきた耳たぶにピアスの穴を空け(そしたら彼氏できるって聞いたから)、複数の男性とお食事などをし、慣れない夜遊びもし、海にも行き、花火にも行き、思いきり自分を見失って駆け抜けた、夏の終わりに彼氏ができました。大学時代の同級生と、卒業して5年も経ってから交際をスタートさせることになったのです。
当初の予定では交際3ヶ月で20代のうちに電撃結婚するはずでしたが、ずるずる2年つき合ったところで東日本大震災が起き、一人暮らしは危険との防災意識から一緒に住むことが決定。二人とも地方出身者ゆえ、頼れる身内のいない東京での暮らしにちょっとでも安心感を、というセーフティーネットとしての同棲生活がはじまりました。なんだかんだで更に2年が経ち、その間にわたしは小説家デビュー。フリーランス稼業で自宅で仕事をしていた彼氏も勤め人に。しかし、婚約指輪を差し出す素振りは微塵もありません。