「青い山脈」「東京ラプソディー」など、若く明るい歌声、はっきりした発声で「楷書の歌手」と評された藤山一郎(ふじやまいちろう)(1911―1993)は東京音楽学校在学中の1931(昭和6)年に発売された「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」が大ヒット。同じ江戸っ子、下町育ちの増永いくさんと出会い、昭和15年結婚した。
私たちは、ちょっと変わった夫婦という感じがします。よそのご夫婦を見てますと、言いたいこと言い合って、その代わり何か欲しい時には甘えて買ってもらったり、優しくしてもらったり……何かこう、もっと溶け合ってますよ(笑)。うちはもう他人みたいなの。何かするのも私が「何々なさいますか」と聞くんですから。すると主人が「ありがとう」って。これじゃあ、融合しないでしょ。

主人は無駄遣いはしませんでしたけれど、車だけは気に入るとポンと買ってきちゃうんです。突然「今度はジャガーを買ったから」と。お金がないのに困ったなあと思うんですけれど、私も車は好きですし、お金がないとは言えないもんですから、一生懸命工面しました。
ゴルフは、新婚旅行にゴルフバッグを担いで行ったくらいですから、二人とも好きですね。主人はゴルフから帰ってくると、スパイク靴の裏まで洗い、油を引いて、クラブもワックスかけて仕舞います。私はボールもろくに洗わない。ぜんぜん反対。
私は、家事より動きのあることが好きなのね。家を建てたり直したり、お店の設計なんか大好きです。戦後すぐ主人が肝臓膿瘍になって「あと1年の命」と宣告されたとき、生活のためにガソリンスタンドを始めたんですが、やってみると面白いの。今も事業を続けています。主人は静かにアレンジ(編曲)ですね。曲を書いているときが一番楽しそうでした。出来上がると「どうかな、歌いやすいかなあ」なんて聞いてきますから、私は「いいんじゃない」なんて無責任に。「君の評は素人だから助かる」と申してました。
主人は几帳面できれい好きで、ワイシャツを洗って置いておくと、自分で一枚一枚畳んでビニール袋に入れてしまっておくような人でした。私と娘には「君たちはすぐ服を汚すねえ」と言って笑ってました。背広などもクリーニングには出さないんですよ。型が崩れるって。毎日帰ってくるとブラシですね。だからブラシの2、3本がすぐなくなっちゃう。手のかからない主人ですね。でもそれを私には要求しませんから、喧嘩したこともありません。
よく地方公演には参りましたけど、毎晩必ず、「今日の会は盛会でした。ノドの調子もよかった。今からお風呂に入って寝る」と必ず連絡してきました。
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source : 文藝春秋 1998年2月号