民俗学を創始した柳田國男(やなぎたくにお)(1875―1962)。彼が残した仕事は、現代日本の問題を予見していたかのような深みのあるものだった。その先見性と魅力を宗教学者、山折哲雄(やまおりてつお)氏が解説する。※文藝春秋2013年1月号掲載
柳田國男は明治8年(1875)に兵庫で生れ、昭和37年(1962)に世を去っている。87歳だったが、今日まで生きていれば137歳になっているはずだ。
柳田國男は、民俗学という新しい学問の創始者といわれているが、もちろんそんな狭小な枠に収まるような人物ではない。もしも今日まで生き残っていれば、日本と世界にたいして精力的な発言をつづけ、深みのある実践活動に身をのりだしているにちがいない。
それを知るためには、まず3つの問いを発してみることだ。第1、明治の開化期において彼は何を考えていたか。第2、わが国の中世の動乱期を背景にして、今日のわれわれにどのような警鐘を鳴らそうとしていたか。第3、この国の骨格をつくった古代世界を胸中に収めて、いったいどんな構想、どんな感慨をもらしていたか。

第1の問いに答えてみよう。彼は東京帝国大学を出て農政官僚になったが、新しい日本を誕生させるためには自立農民の育成が不可欠であると考えていた。福沢諭吉のいう富国強兵に代えて農業の改良による産業社会の建設に意欲を燃やしていた。その構想の独自性が当時の『時代ト農政』(明治43年刊)という仕事のなかに結晶している。近年、『遠野物語』の刊行100年を祝う声が高いが、同時に、われわれは『時代ト農政』100年の重要な節目にあることも忘れてはならないだろう。柳田のこの構想は第二次世界大戦後の「農地解放」によって半ば達せられたが、やがてこの国はその後の失政によって農業の荒廃を招き、食糧自給率4割という哀れな状態に陥っている。柳田の仕事の永続的性格をそこにみることができる。
第2の問いはどうか。柳田はいつごろからか、日本人の衣・食・住にかんする生活様式が、いつどのようにしてつくられたかという問題につよい関心をもつようになっていた。彼の『木綿以前の事』(昭和13年刊)や『食物と心臓』(昭和15年刊)を読めばわかるが、日本人のライフスタイルの骨格をなす衣・食・住が定まったのはほぼ15世紀の動乱期(応仁の乱)においてであると考えていたようだ。当時これと同じことを主張していた歴史家に内藤湖南がいるが、資料の博捜と緻密な諸国調査によって積みあげられた柳田の仕事は、他の追随を許さぬ水準に達していた。創造的な生活様式は、動乱期においてこそ発芽するということを彼は見すえていたのかもしれない。柳田の学問の先見性である。
第3の問いに移ろう。もしも彼が平安京の片隅に腰を下ろして現代のわれわれの右往左往する姿を見渡したとき、いったい何を語り出すか。国造りにはこの列島の民族がどこからきてどこに行こうとしているか、それを見定めることからはじめなければならぬ、というだろう。彼の『海上の道』(昭和36年刊)や『山の人生』(大正15年刊)という代表的な仕事を読めばわかるが、この日本列島人が海と山の狭小な地域に囲まれ我慢づよく生きつづけてきた民族であることを解き明かしている。柳田國男は島々をはじめ山野河海を巡り歩き、海の幸と山の幸にかかわる豊かな物産目録(現代風土記)を書くとともに、そこから汲みだされた珠玉の伝承と知識(たとえば『桃太郎の誕生』など)を世の中に提供したのである。
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source : 文藝春秋 2013年1月号

