そして、ヘマはつづく

第77回

藤原 正彦 作家・数学者
ニュース 社会 読書

■連載「古風堂々」
第72回 壮大ないじめ
第73回 交渉の心得
第74回 私のつまずき
第75回 メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン
第76回 失われた典雅な日本語
第77回 今回はこちら

 漱石は「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」と書いたが、私の方は「親に似ないオッチョコチョイで子供の時からヘマばかりしている」である。中学校の時、腕相撲で負けたことがない、というだけの理由で我が校の砲丸投げ選手として国立競技場での大会に出場することとなった。私はフォームを改良しようと砲丸を片手に休み時間の教室で研究していたが、うっかり床に落としてしまった。旧陸軍の兵舎だった校舎の床は薄く、ポッカリと丸い穴が空いてしまった。担任から大目玉を食らい、家では母に思う存分なじられた。中学一年の夏、芸大出の音楽教師が教室で、「君達の記憶力はこれからどんどん衰える一方です」と言った。オッチョコチョイの私は、「これは人生の一大事」と青ざめ、翌日から英単語を猛然と覚え始めた。当時は記憶力が良かったから、中学校卒業までに一万語近く覚えた。余勢をかって中二の四月からはNHKラジオで関口存男(つぎお)先生のドイツ語初級講座を、中三の四月からは小林正先生のフランス語初級講座を毎朝聴き、基本文法と主要単語を片端から覚えた。後に英独仏語の本や論文を読んだり、外国女性を口説いたりしたから大いに役立った。しかしながら、中学生という頭脳絶頂時に古今東西の名著や古典に親しまず、語学などにかまけていたことは、今や私にとって人生最大の悔恨である。あの頃にそういった名著名作を片端から読んでいたら、今ほど軽薄でなく、深い教養に裏打ちされた深みと渋みを身につけた、女性を口説く必要もない、恐ろしいまでに魅力的な紳士となれたはずだったのだ。

 都立高校入試の際、九科目九〇〇点満点中、私の受験校の合否ラインは八三〇点ほどだったが、私はギリギリの八三一点だった。最も得意の数学が百点満点中、六八点だった。子供銀行の収支に関する問題で、収支表の左下隅に(単位百円)とあったのをオッチョコチョイの私は見落したため、いくつかある設問に対する答えがすべて間違いとなったのだ。この高校では受験番号一番は毎年落ちるというジンクスがあったので、オッチョコチョイの私はそのジンクスを破ろうと朝早く駆けつけ晴れの一番を取ったのに、成績は一番ビリの綱渡り合格だった。

 大学一年生の初夏、中学時代の級友に、「阿部次郎の『三太郎の日記』、三木清の『人生論ノート』、倉田百三の『愛と認識との出発』の三冊を読まないと一人前になれないぞ」と脅された。旧制高校卒の父親がそう言ったらしい。これは大変と私は書店に走り三冊を買い揃えた。この三冊を夏休みに読破し一人前の大人になろうと、信州の祖父母の家に向かった。どれも十ページほど読んで止めた。小難しいうえ少しも面白いと思わなかったのである。この夏の読書は、数学書の他は、叔父さんの書棚で見つけたヴァン・デ・ヴェルデの『完全なる結婚』を盗み読みし、清純無垢な心を汚しただけだった。

 三十六歳になった二月の寒い朝、父が突然の心筋梗塞により私の腕の中で息を引き取った。年に一度は三千メートル級の山に行くほど壮健で、毎日新聞に『孤愁』を連載するなど旺盛な執筆活動を続けていたから、家族は驚き悲嘆にくれた。父が何年にも渡りポルトガルの作家モラエスの資料を読み、ポルトガルをはじめ各地で取材を重ねていたことを知っていた私は、死を悲しむに止まらず、憤怒で震えた。父の『孤愁』にかけた想いを冷酷に打ち砕いた「自然の摂理」に怒ったのである。そして翌日、『若き数学者のアメリカ』一作を書いただけの一介の数学者である私が、父の作品を父が書いたであろうように完成し、父の無念を晴らそうと誓ったのだ。仇討ちをせずにはいられなかった。オッチョコチョイの私はこれを葬式の日のマスコミインタビューで口にしてしまい、それが翌日の新聞に大きく載ってしまったのである。以後、二〇一二年に新田次郎、藤原正彦共著の『孤愁〈サウダーデ〉』(のち文春文庫)が完成するまでの三十年ほど、ずっとその重い宿題を抱えることになった。その間にポルトガルに三回、徳島に十数回の他、マカオ、長崎、神戸などで取材し、父の残した資料数千ページを読み、五百数十枚の原稿を書いた。ほぼ父の亡くなった年齢になっていた。

 数年前の九月に愚妻と父の墓碑のあるスイスを訪れた。まずロープウェイで標高二二三〇メートルのメンリッヒェンまで上り、そこから墓碑のある標高二〇一六メートルのクライネ・シャイデックまで、アイガー北壁やユングフラウを眼前に仰ぎ見ながら五キロほどの絶景ハイキングコースをたどった。見渡す限りの草原には高山植物が咲き乱れ、草を食む牛の鈴の音が風に乗って聞こえてくる。軽い下り坂を一時間ほど夢見心地で歩き、父の墓碑をお参りした。麓のグリンデルヴァルトまでは鉄道で下る予定だったが、壮快なハイキングに魅せられた私は、標識に一〇キロ余りとあったのを見て、「さっきの倍程度の距離だからぜひ歩こう」と反対する妻を説き伏せた。オッチョコチョイの私は標高差が千メートルということを見落していたのだ。道はハイキングコースとは違い険しい山道で、誰も登山客のいない急な下り坂を三時間余り歩きに歩いた。労苦から早く解放されたいと水もほとんど飲まず一心不乱に歩いたから、麓に着いた時は夫婦ともども息も絶え絶えだった。レストランで大ジョッキの氷入りオレンジジュースで一時間休み、やっと息を吹き返した。これに懲りた女房は以降、事ある毎に「あなたの判断はいつも間違っているから絶対に従いません」、と力むようになった。仕方ないのだろう。

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source : 文藝春秋 2025年10月号

genre : ニュース 社会 読書