サウジアラビアの有名ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏が暗殺された。サウジアラビア側は、カショギ氏が最後に目撃されたイスタンブールのサウジアラビア総領事館の中で殺害されたことを認めたものの、事件への関与を早くから疑われてきた同国のムハンマド・ビン・サルマン皇太子(サウジ王家の次の王位継承者)の関与は断固として否定した。これはもっと位が低い人間がたくらみ実行したことであって、皇太子とは縁もゆかりもない事件だというのがサウジの主張だ。事件が明るみに出てから、サウジは総領事館内で偶発的に起きたちょっとした口論の延長のような事件であって、計画殺人ではないとした。しかしトルコ側の捜査がどんどん進むと、サウジ側検察も、これが計画殺人であることを認めはじめた。
トルコ側はこの事件が政治的背景を持つ特殊な殺人事件と最初からとらえていた。トルコとサウジは、イスラム圏の中で、政治力と文化的宗教的権威を競い合う二大強国と言ってよいが、サウジには、世界最大級の石油埋蔵量からくる圧倒的経済力があるのに対して、トルコにはそれがない。しかし人口の多さからくるマンパワーならびに情報発信力、発言力はある。オスマントルコ以来、数百年にわたってイスラム圏の文化の中心をなしてきた政治力、文化力、外交力もある。
そういう背景の中で、西側の国に最も知られた文化人であるカショギ氏が突然死亡するという事件が起った。しかもサウジの最大の政治的実力者であるムハンマド皇太子の関与が強く疑われる形で起きたため、トルコのエルドアン大統領は、この事件を最大限に利用して、中東の政治パワーを我が手におさめようとしているのだろう。
トルコが秘密警察力と情報発信力(マスコミ操作能力)を持っているのに対して、サウジはそういう近代的国家統治能力と宣伝力に欠けている。ネット情報を少し時間をさかのぼってひもといていくと、エルドアン大統領は国内に張りめぐらした情報網(政敵に対する盗聴網)を通じてカショギ氏の周辺で何かおかしなことが起きていることをいち早く知り、事件の初期段階からマスコミ各社に匿名の警察捜査情報をどんどんタレ流していたことがすぐにわかる。
今回のカショギ氏暗殺は、ムハンマド皇太子の配下の「タイガー部隊」という名の特殊暗殺部隊が外交旅券をもってトルコに入国し、素早く仕事(暗殺と死体処理)をして、いち早くサウジに帰国したらしいことが知られている。ところがサウジの暗殺部隊の仕事はトルコの秘密警察に全部バレバレであった。たとえば、暗殺部隊は、カショギ氏を殺したあと、用意していたカショギ氏のそっくりさんを総領事館の出口から出して、ちゃんと帰ったように見せかける映像を街の監視カメラにわざわざ撮らせた(これをサウジに帰国してから上司への報告に用いた)。ところがそっくりさんにカショギ氏の服を着せるところまでマスコミにトルコ側からタレ流しにされ、世界の笑い者になった。
トルコの国会でエルドアン大統領は、カショギ氏暗殺の謎を暴くとして、長い長い演説をぶちあげ、暗殺過程を次々に詳細に語り、それが世界中の新聞テレビでその日に報道されたが、その報道がなされているちょうどそのとき、リヤドでは、「フューチャー・インベストメント・イニシアティブ(砂漠のダボス会議)」というサウジ主催の一大国際会議が開かれていた。中心人物のムハンマド皇太子は、そこに国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事、世界銀行のキム総裁、米財務省のムニューシン長官などの世界一流の金融人、財界人をズラリならべて得意満面になるつもりだったらしい。しかし有力招待客のほとんどが、これ(暗殺による言論封殺)だけは許せないと、急遽招待を断ってきた。そのために広い会場がほとんど空席ばかりとなり、ムハンマド皇太子はとんでもない恥をかく結果に終った(日本のソフトバンク孫社長も演説者として招かれていたが、出席はしたものの講演は断った)。
死せるカショギ氏が生けるムハンマド皇太子に一生忘れられない恥をかかせる結果に終ったわけだ。現代国際社会では石油の力でも金の力でも買えない最大のものが、言論を守護する者という国際的評判だが、皇太子はそれを失った。
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