「オウム」は終わったのか

日本再生 第88回

立花 隆 ジャーナリスト
ニュース 社会

 7月6日にオウム事件の麻原彰晃元教団代表と6人の主要な教団幹部たちが一斉に処刑されて世を賑わしたと思ったら、それから20日後の26日に残りの6人の元教団幹部の死刑確定囚たちも一斉に処刑された。

 だが、これでオウム事件はすべて片付いたのかといえば、とてもそうはいえない。政府としては、過去の事件処理は基本的に終ったことにして、あとは来年からはじまる「新天皇のもとでの新しい時代」に舵を切るつもりなのかもしれないが、ことはそう簡単ではないと思う。

 私はオウムの残党や、生き残りの信徒集団のことを述べているのではない。それはそれで大変な問題だが、あの時代、なぜあれほど多様で優秀な若者たちがオウムの旗の下に集まり、麻原のいうことを信奉していたのかという問題のほうがはるかに大きい。

 私はあの時代、オウムの取材をずいぶんしたから、オウムの信徒や、入信しなくても周辺にいた若者たちを沢山知っている。

 彼らは愚かなことを安易に信じるバカな若者たちではなかった。時代のかかえる多様な問題を真剣に考える好感あふれる青年たちだった。ある意味、日本の未来をたくすにたると思えるような青年たちだった。彼らの周囲には、さまざまな理論も言説もあふれていたはずだ。社会には、さまざまな成功のチャンスもあったはずだ。

 今回死刑になったオウムの幹部たちにしても、途中までそのような成功の道を歩んでいたはずだ。それにもかかわらず彼らはあるとき麻原の唱えることにより大きな真実があると思いこみ、ヴァジラヤーナの道(人を殺してでも、麻原が唱える正義の道に引き戻される。その方がその人にとっても一般社会にとっても正しくかつ幸せ)へ突進していくことになる。彼らは自分たちがしている行為(殺人)がその人にとっても幸せ(現世で幸せでなくても生まれ変ってからの来世においては幸せ)だと信じこんでいたから、そうしたのである。オウムの一連の裁判は、そういった思いこみのトリックの恐ろしさを十分に明らかにしていないのは残念である。

 私が会ったオウムの若い信者たちは教祖の超人的な能力を信じていた。今でも忘れられないことがある。

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source : 文藝春秋 2018年09月号

genre : ニュース 社会