いつもご愛読いただき、ありがとうございます。
創刊100周年記念の新年特大号を編集する中で、私が「文藝春秋」編集長として最も誇りを感じたのが、大型企画「100年の知に学ぶ」です。
過去100年にわたる本誌のアーカイブを掘り起こし、今日的な視点で光を当てるという試みですが、そうそうたるラインナップが揃いました。
「『日本の自殺』を読み直す」は、1975年2月特別号に掲載された「グループ一九八四年」という匿名の学者集団の論考が、いま改めて私たちに突きつけるものについて、京都大学名誉教授の佐伯啓思さんが解説しています。
例えば、こんなくだりが胸に刺さります。ちょっと長いけど引用します。
〈間違いなく、かつて著者たちが述べた「日本の衰退」が現実化している。それを著者たちは「日本の自殺」と呼んだ。その場合に重要なことは、著者たちは、ここに文明の自壊のプロセスを見たということである。自壊をもたらすものは、制度の疲労や政府の失策や外部環境への不適応ではなく、人々の、いわば「魂の衰退」だというのである。自らの「文明」を客観的に分析し、その中にあって自らの立場を選択する自立的な意思の欠落、誰かが(「アメリカが」、また「国が」)何とかしてくれるという依存心、それに自分で物事の適宜性を判断する倫理観念や道徳意識の崩壊、情報処理装置の高度化と裏腹の人間の知力や常識、言語能力、感受性の衰弱。それこそが日本を衰退に向かわせる。これは、日本の精神的な、つまり魂の「自殺」なのである。〉
「司馬遼太郎『ロシアについて』の慧眼」の著者であるノンフィクション作家の広野真嗣さんは、司馬さんが40年前に書いた「ロシアの特異性について」(1982年6月号)の中の一節に目を奪われたといいます。
〈外敵を異様におそれるだけでなく、病的な外国への猜疑心、そして潜在的な征服欲、また火器への異常信仰〉
いまウクライナで起きていることの核心を射抜く、まさに「慧眼」です。
「松本清張『日本の黒い霧』と『昭和史発掘』」は、文藝春秋で30年来の担当編集者だった藤井康栄さんによる回顧録。「日本の黒い霧」の本誌連載が始まったのは1960年1月号からです。初めて知るエピソードの連続でますます清張さんが好きになりました。
「山本七平 『空気の研究』を超えて」は、評論家の与那覇潤さんによる大変力の入った文明論でもあります。山本七平の「空気の研究」は1975年9月号から本誌で連載されていました。
最後に「文藝春秋が報じた文士の肉声」は、川端康成、小林秀雄から、石原慎太郎、開高健、さらには向田邦子、田辺聖子まで、本誌を飾った珠玉の言葉の数々を、文芸ジャーナリストの佐久間文子さんが紹介しています。
時代を超えた「知の巨人」たちの夢の競演をじっくりとお楽しみください。
文藝春秋編集長 新谷学
source : 文藝春秋