『あしたのジョー』に奮い立つ

有森 裕子 元女子マラソン選手
エンタメ 読書

 もともと教員になりたかったんです。夜間学校で教える父の背中を見て育ったためか、気づけば憧れていました。生徒を自宅に招いては一緒に食卓を囲む。勉強を教えているはずがどこか楽しそうな姿が、教員としての父の最初の記憶です。普通の教室で見る生徒と先生の関係とは少し違う距離感、人間関係が、すごく好きだった。私自身も先生に救われた時期があり、ちょうどその頃出会ったのが、漫画の『生徒諸君!』(庄司陽子、講談社)。いまの時代から見ると明るすぎて、うざいくらいにいい話(笑)。成績優秀でスポーツ万能な「ナッキー」が、個性的な同級生と切磋琢磨し学校の先生になる。誰からも好かれ仲間意識が強く、周囲を惹きつける。不器用な自分とは真逆の主人公でした。彼女に憧れつつ、何人かの要領の悪い仲間の方に自分を投影しました。ナッキーのようにはなれないけど、人が育まれるということや、そういう場所に一層の憧れを持たせた作品です。

有森裕子氏

 当時からとにかく群れるのが嫌いで「みんなと同じ」が嫌い。「みんなと違う」スペシャル感に憧れていたし、興味がありました。ただ、組織や集団の中ではずいぶん葛藤しました。「どうしてもっとうまくやれないんだろう」と、ずっと思っていた。要領よく器用に何でもこなせる人を羨ましく思いながら、「孤」であること、孤独だからこそ出せる力に憧れていた。「感動を与えたい」というスポーツ選手もいますが、私はいまも、自分が自分に感動していればいいと思っています。

『砂の城』や『ガラスの仮面』など好きだった作品の共通点はとにかく諦めない主人公。諦めずにぶつかっていけば、きっと「何か」につながる。そう信じさせてくれたのが、あの時代の漫画たち。自分を曲げなくていい、そのままでいいと、自分の中の確たるものを確認させ、背中を押してくれる作品に惹かれました。

 大好きな『あしたのジョー』(ちばてつや・高森朝雄、講談社)に初めて夢中になったのは、中学二、三年生。当時、片思いをしていた子が「将来ボクサーになりたい」という夢があり、「やっぱりボクサーか!」と。すごい猫背の子だったので「猫背ってかっこいいなあ」「やっぱりあしたのジョーだな!」と思いましたね(笑)。私も座高が高くて背中が丸まりがちでしたが、「これでいいんだ」「猫背はかっこいいんだ」と真似し続けたら、本当に姿勢が悪くなってしまって。その頃は、ラストリングで彼からグローブを受け取る白木になりたかった。ジョーにはなれないんだけども、その人を思う白木になりたかったですね。

人生は燃え尽きちゃダメ

 ジョーの生き方が大好きでした。あのストイックさ、なかなか周りに馴染めない、あの無骨さ。その中で自分の信じるものを貫き通す姿勢。負けても勝っても、とにかく諦めない。倒れない。どこか孤独で、そこから出る意地のようなものもすべて矢吹丈の人間性が好きでした。

 高校で陸上に打ち込むようになってからは、「諦めない」ということが競技へのストイックな姿勢につながったように思います。中学のバスケ部では不器用すぎて失敗ばかり。自信につながるものが何一つ得られなかったんです。転機は中学の体育祭。きつくて誰も出たがらない800m走に出場する「チャンス」を自ら掴み、3年間優勝しました。「これは一生懸命やれば結果を出せる」という初めての手応えを感じ、陸上部のある高校に進学します。監督には「素人が」と拒まれましたが、不器用でもとにかく頑張る、諦めないでいたら、次第に一目置き、すごく応援してくれるようになりました。部屋にはジョーのポスター。試合前はジョーの姿を見て自分を奮い立たせていたことを思い出します。

「燃え尽きる」という言葉が大好きで、とにかくなりふり構わずやる、もう、度を越してやる。そういうところへ自分を追い込むには、ジョーは最高の手本でした。

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source : 文藝春秋 2023年5月号

genre : エンタメ 読書