いま東京大学総合図書館の前庭に、巨大な穴が掘られつつある。直径二十五メートル、深さ四十メートルという超巨大な穴だ。十階建てのビルがスッポリおさまるような大きさ。何をしているのかというと、ここに、新図書館を作るのだ。地下二階三階部分に、保存書籍三百万冊を収蔵する(現在本館収蔵数百二十万冊)全自動化書庫(世界の図書館がいま全自動化しつつある)を作る。地下一階には、学生が能動的学習に自由に用いることができる大きな空間(「ラーニング・コモンズ」)ができる。これが三年後に完成して、本館の書物の相当部分を移し終えたあと、本館の一大改修工事をはじめる。本館には基本的に学生の利用度が高い本を全館自由開架式で置く。学生は自由に書庫に入って本を引き出せるようになる。これと同時進行で進むのが、図書館のデジタル情報基盤化だ。いま大学で基本的に進行しているのが、デジタル情報化革命。教育も研究もすでに相当部分がデジタル情報化されている。授業内容紹介(シラバス)からデジタル情報だから、コンピュータなしには大学生活は一歩も進まない。文系と理系でその進捗状況にかなり差があるが、理系はほとんどあらゆる情報がデジタル化されている(授業はパワーポイントで進められ、レポート提出もほとんどメールだ。すべての学会誌、すべての学術情報がすでに電子化されている)。研究イコール汗牛充棟の大量の文献と格闘という時代は、文系の一部学科をのぞくととっくに終っている。これからの図書館は、必然的にデジタル情報半分、アナログ情報半分のハイブリッド図書館にならざるをえない。これまでも図書館のデジタル情報利用はある程度進んでいたが、これからそれを本格化する。図書館が中心になって「読書の電子化」と「知の体系化」をドシドシ進めていく。既存の紙の書籍も電子化して、電子書籍として読めるようにする。
現代の書物の電子化の流れはMITのジェイコブソン教授の“THE LAST BOOK”構想(1997)からはじまっている。世界の書物を全部電子化してオンラインで送れるようにすれば、ユーザーは電子ペーパーでできた端末としての一冊の本を持つだけで、それをネットにつなぎ世界中のあらゆる本が読めるようになる。いまこの構想実現に向けて世界中の関係者が走り出している。権利問題などいろんな困難はあるが、そう遠くない将来に、この構想は実現し、世界中のあらゆる書物を電子的に読むことができる時代が来るだろう(日本ではさまざまの未解決問題があり若干遅れる)。すでに世界中の公共図書館が努力目標としてそのような時代をめざすことを合意しており、国際的にも国内的にも歴史的書物の電子化がどんどんはじめられている。
東大図書館もこの目標を共有し、書物の電子化を東大教授の著作物からどんどん進めようとしている。「読書の電子化」の最大の目標の一つが、学生への読むべき本の推薦(東大レコメンド)を組織的かつ各個人向けにやることだ。そのような読書サービスをデジタル・キュレーションと名付けているが、その基本コンセプトを考案した石田英敬副館長と、集合知の専門家、前田邦宏氏(ユニークアイディ社)の構想を紹介しておくと、あらゆる書評ないし読書案内を集めたデータベースを作る。書評関連伝いに別の書評や別の典籍、キーワード(脚注)情報を集めて、それを集合知データを集める推薦エンジンと連動させる。するとその学生の個性、適性、目的に合わせて、この本を読んだらどうだという推薦情報がいくつも出てくる。それにひとつひとつ自分の「好き嫌い」反応をマークしていくと、やがて推薦エンジンが利用者好みにカスタマイズされて、自分に合った推薦をしてくれるようになる。さらに進んでは、VR(ヴァーチャルリアリティ)空間で、推薦図書をズラリとならべた個人向け特注の書棚が仮想空間に出てくるようになる(その本を取り出して実際に読むこともできる)。
さらに進んでは、いくつかの相異なる関心領域についてこれを繰り返していけば、一つ二つの書棚ではなく、本が沢山詰まった幾つもの書棚がならんだ何百冊ものブックフォレスト(書物の森)ができるし、さらにはその集積体、何千冊、何万冊のブックマウンテン(書物の山)を作ることもできる。
私はそのような未来を見越して、これからの時代、我々はデジタル図書館技術を通じて、古代の書物を全部集めたとされるアレクサンドリア図書館の現代版を個人向け特注配列版としてヴァーチャルに持てるようになるのだと、東大図書館の未来図パンフレットに書いた。
しかし本というのは、不思議なもので、読めば読むほど、もっと読みたくなる。東大図書館よりもっと大きな大学図書館といえば、ハーバード大学のワイドナー記念図書館だが、その司書を長らく務めたマシュー・バトルズは、『図書館の興亡』の中で、同図書館の中をうろつきまわる本好き人間の心情について、こんなことを書いている。「書架に並ぶ膨大な量の書物を思うと、気が気でない。読めば読むほど自分の知識が乏しいように思える――読んだ本の数が増えるにつれて、到底読みきれない本の数も無限に増えていく気がする……」
アルゼンチンの特異な作家J・L・ボルヘスは、「バベルの図書館」で、ほとんど無限の内部空間を持ち無限の本がならぶ図書館の中で、一生を送る司書たち(彼らは死ぬか発狂するまで図書館を出られない)の話を書いた。
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source : 文藝春秋 2013年6月号