友情物語にしてインテリジェンスの教科書
これは著者の佐藤優氏とロシアのサーシャとの友情物語だ。サーシャとはモスクワ国立大学哲学部科学的無神論学科のゼミで知り合ったアレクサンドル・ユリエビッチ・カザコフ氏の愛称だ。2人の関係は、紆余曲折あるも、ソ連が崩壊してロシアになり、ロシアがウクライナに軍事侵攻しても続いている。
これは友情物語であると共に、佐藤氏がモスクワ駐在の日本大使館員だったときに、どのように情報を収集していたかの一端を見せるインテリジェンスの教科書でもある。
それにしても「科学的無神論学科」とは奇妙な名称だ。ソ連の公認イデオロギーでは宗教は否定されるべきもの。キリスト教のような宗教は非科学的であり、それを否定する理論的根拠を学ぶ学科という建前だが、否定するためには相手のことを知らなければならない。逆説的にキリスト教神学を研究することができる場でもあった。
当時のサーシャはソ連を構成していたバルト三国のうちのラトビア出身。ラトビア独立運動をしていたことで、佐藤氏はソ連における民族問題を深く知ることになる。佐藤氏の民族問題に関する造詣の深さは、サーシャとの会話で形成されていったことがわかる。
佐藤氏の記憶力の良さは驚嘆すべきもの。当時の2人の会話がビビッドに再現されている。この会話を通じて、末期のソ連社会の現状が描き出される。「ソ連共産党員でマルクスを真面目に読んでいる人はほとんどいない」と佐藤氏は書く。資本主義国の日本から派遣された佐藤氏の方が、学生時代にマルクスと格闘していただけに、よほどマルクスのことを理解していたのだ。
この本は、当時のソ連のレストラン事情もわかって興味深い。良質なキャビアはどこで食することができるのか。高級レストランではどんなメニューが出て来るのか。ここでも佐藤氏の見事な記憶力によって再現される。と同時に、佐藤氏の情報収集能力は、ウオッカをいくら飲んでも酔いつぶれることのないアルコール分解酵素の強力さにも支えられていたことがわかる。
その佐藤氏が、「国家の罠」によって東京拘置所に入ることになった前後の描写や、どのような経緯で作家としてデビューしたのかなど興味は尽きない。彼は逮捕の前後に、外務省の人間模様を見続けてきた。自らの保身のために他人を裏切る人間がいることも冷静に観察している。そんな彼と結婚した妻は、次のように語っている。
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