8月11日から16日まで岸田文雄首相は夏休みをとったが、この間東京を離れることはなかった。昨年、夏休みをとったときには静岡県の伊豆長岡温泉の旅館「三養荘」に滞在したものの、それも2泊3日にとどまった。
コロナ禍に伴いリモートワークが広がり、ワーケーションのような新たな勤務形態も広がりつつある。政治家だけがずっと東京にいなければならない理由はないはずだ。だが実際には、たとえ短期であっても首相が東京を離れるのは望ましくないという声が、かえって昨今強まっている。昨夏にも課題が山積している以上、臨時国会を開催する方を優先すべきだったと野党から批判を浴びた。
昨年末に岸田首相の一族が首相公邸で「忘年会」を開いていたことが問題となったことは、まだ記憶に新しい。この出来事では公邸が私物化されたこともさることながら、年末年始でも首相が危機管理上、東京を離れられないことがあらわになった。
政治学者の御厨貴は、政治家の別荘が集まる避暑地として軽井沢に注目した(『権力の館を歩く』)。確かに軽井沢には、明治の桂太郎から平成の鳩山由紀夫まで、歴代の多くの首相の別荘がある。とりわけ1954(昭和29)年から56年まで首相の座にあった鳩山一郎は、8月から9月にかけてほぼ軽井沢の別荘で過ごし、会談も軽井沢で行った。別荘が文字通り「権力の館」となり、閣僚や派閥の領袖、新聞記者らが頻繁に軽井沢を訪れたのだ。
だが鳩山が首相在任中に長らく東京にいなかったのは、せいぜい55年と56年の夏だけだった。それに比べると48年から54年まで長期政権を築いた吉田茂は、毎年夏に東京はもちろん、本邸のあった神奈川県の大磯すら空けることが少なくなかった。49年の夏は静岡県御殿場の樺山愛輔別邸に、50年の夏は神奈川県箱根・木賀の塩原又策別邸に、53年の夏は箱根・大涌谷の旅館「冠峰楼」に、それ以外の年の夏は箱根・小涌谷の新町三井家別邸にこもったからだ。
吉田は鳩山とは異なり、自らの別荘を持たず、大磯から比較的近い御殿場や箱根の資産家の別邸や、箱根の高級旅館の離れを借り切った。中でも吉田が気に入ったのが、大正期に三井家本家の一つである新町家が小涌谷に建てた別邸だったのだ。
中野区の三井文庫が所蔵する図面によると、この別邸には本館「皕桜(へきおう)荘」と別館「雲錦荘」があった。吉田が滞在したのは本館の離れだったと思われる。本館の東側には回遊式の庭園が広がり、池が2つあった。本館と別館の敷地の境界には小川が流れていたが、橋がいくつか架かり、自由に行き来ができた。
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source : 文藝春秋 2023年11月号