昨年10月19日、弟杉山隆男が亡くなりました。70歳。突然のことでした。弟の行く末を一番心配していたのは、今は亡き両親でした。介護の末、最期を看取った私に、幾度となく隆男を案じる言葉を残していったのです。
弟は昭和27年11月25日、杉山敏、美知子の三男として生まれました。富士山が見えた物干し台で、兄弟は相撲を取り、隆男は私のカメラの前でタオルを化粧まわしに土俵入りをしました。
祖父・市三郎は日本橋の丸善本店で丁稚奉公した後、大正初めに書籍商から出版業に転じ、杉山書店を興したのが我が家の始まりでした。この頃、大衆小説家・大佛次郎は北神保町に下宿していました。大佛と祖父、父との交流は、出版を含めて戦後十数年続き、不朽の名作『鞍馬天狗』には、市三郎をモデルにした「杉作」が登場します。そのことを中学生になった弟に教えました。
都立日比谷高校に通い始めた弟は、新聞部に所属し、新聞記者を目指していました。高校3年生のちょうど18歳の誕生日、三島由紀夫事件が起こりました。国語の授業を抜け出した弟は、市ヶ谷に走り、取材のヘリが空を舞う現場のただならぬ熱気を体験し、興奮して帰宅しました。
そして、一橋大学に進学し、在学中は仲間2人と総合雑誌『一橋マーキュリー』を創刊しました。当時は都留重人学長の特別寄稿、作家・石原慎太郎、城山三郎が寄稿するなど話題を呼びました。5号まで初代編集長を務め、10年続き、約70人が巣立っていきました。
就職試験では、「日経」、「読売」の両新聞社に合格して、読売新聞の記者を選びました。配属された静岡支局では高校野球の取材に奔走しました。上司や同僚から「杉作」と呼ばれるのを口惜しく思っていたようです。僅か2年余りで新聞社を退職し、しばらくは毎日、神保町の自宅でピアノを弾いては、クラシック音楽に聴き耽っていました。
それでも月に10冊以上の小説、海外のノンフィクションを読み漁りました。1986年34歳の時、『メディアの興亡』の脱稿に向け1か月間、弟は文藝春秋社屋の地下室に寝泊りし、私は弁当の差し入れに行きました。この時のデビュー作『メディアの興亡』(文藝春秋刊)は第17回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しました。
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