本田宗一郎 野人のパワー

本田 博俊 長男・「無限」創業者
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昭和23(1948)年に創業した本田技研工業を世界的大企業にまで成長させ、アジア人初の米国自動車殿堂入りを果たした本田宗一郎(1906〜1991)。息子の本田博俊氏が父の姿を語った。

 僕は物心ついたときから飛行機や車が大好きで、しょっちゅう工場に行っては、親父たちの仕事を見ていました。次から次へとヘンテコなものを作って、そこらへんにほっぽってあるから、それを拾って遊んでいたんです。楽しかったなあ。

 親父が戦後すぐに作ったエンジン付きの自転車“バタバタ”に、お袋がテストで乗った日のことも何となく覚えてますよ。

 それから15年も経たないうちにアメリカに進出し、四輪車の製造にも乗り出し、F1に参戦。ホンダは世界的な自動車メーカーへと駆け上がっていった。親父たちが開発したスーパーカブは、シリーズ累計生産台数が1億台を超え、乗り物としての世界最多記録も持っています。

本田宗一郎 Ⓒ文藝春秋

 なぜそんなことができたのか? 振り返ってみると、あの時代の人たちには野人のようなパワーがありました。戦争で焼け野原になった後、ゼロからのスタート。みんなハングリーだったし、必死に働いた。「自分たちがこの会社を作ったんだ」という自負を一人ひとりが持っていて、団結力も強かった。当時のホンダの人たちって本当にカッコよかった。

 日本はもちろん、世界的にも本田宗一郎は偉大な発明家、名経営者と言われます。戦国時代で言うと織田信長タイプでしょうかね。常識にとらわれない自由な発想で新しいものを生み出す。戦後の日本にはそういう人がいっぱいいた。だから経済大国になれたんでしょうね。

 ただ、親父自身は困ったところもある人でした。とくに若い頃は気が短くてね。気に入らないことがあると、「テメエ、コノヤロウ、会社壊す気か!!」と火を噴くように怒った。家でもちゃぶ台をバーンと引っ繰り返してました。『巨人の星』の星一徹そのものですよ。派手な芸者遊びでも有名でしたが、お袋を含め、あの時代は女性の陰の支えがなければ成功しなかったと思いますね。

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source : 文藝春秋 2025年1月号

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