14歳でアメリカに留学、帰国後に白洲次郎の妻となった白洲正子(1910〜1998)は能、美術、古典などに通じ、『かくれ里』(昭和46年)、『西行』(昭和63年)など、独自の散文の世界を切り拓いていった。長年、親交のあった細川護熙氏が、その魅力を語る。
正子さんと初めてお会いしたのは、私が10代の頃です。祖父・護立が正子さんの美術の師匠でしたから、週に3、4回は目白台にある祖父の家に来られていました。黒いサングラスにベレー帽、夏はサリー、冬はマントといった具合に当時の先端を行くモダンな洋装。私と弟は「また魔法使いのおばさんが来た」と、はしゃいだものです。
若い頃の私は、祖父と父・護貞が親しくしていた次郎さんとのお付き合いの方が深く、軽井沢の別荘でよく将棋の相手をしていました。正子さんとのご縁が深まったのは、昭和60(1985)年に次郎さんが亡くなってから。正子さんはこの時、75、私は47でした。当時の私は参議院議員を経て、熊本県知事の一期目。熊本の伝統文化や歴史ある風景を残すにはどうすればいいのか。それを政治の力で実現させていくには、日本の文化や芸術についての知識や教養がなければなりません。でも、その頃までの私は、セザンヌや仙厓、横山大観など、祖父が集めた美術品に親しんではいましたが、芸術に特に興味を惹かれることはなく、ほとんど知識もありませんでした。そこで正子さんに教えを乞うことにしたのです。機会をつくっては、鶴川の武相荘(ぶあいそう)に通うようになりました。子どもの頃に和歌や能を嗜んでいたおかげか、正子さんとは共鳴するところが多かったように思います。そのうち正子さんから誘われて、京都や飛騨、信楽、湯布院などへの旅にも同行するようになりました。
食事をとるお店や泊まる宿は、あらかじめきっちり決められていました。それぞれの土地に行きつけがあって、贔屓の料理屋は大通りから少し引っ込んだ路地にあったり、名前が知られていない古いお店。納豆ひとつを出すにしても、工夫が凝らされているようなお店ばかりでした。
道中、「これは何焼きですか?」といった初歩的なことでも物怖じせずに質問すると、正子さんの答えは、中国や日本の陶磁の話から、和歌やお能、源氏物語などの古典、日本の神話まで、その散文さながら縦横無尽に拡がっていきます。
感心したのは、旅から帰った正子さんがその都度、吉田東伍著『大日本地名辞書』を紐解き、見聞したことをさらに深めていたことです。民俗学的なことも書かれた分厚い地誌の記述と正子さんの中に蓄積された教養、そして旅での体験を照応させていたのです。正子さんはそれらすべてを深く味わい、そこから紡いだ縦糸と横糸で、「生きた歴史」が立ち現れる言葉の織物を作り上げた。そんなことができるのは、正子さんが最後でしょう。
正子さんは『かくれ里』でも書いた近江を日本文化の原郷の一つだと考えていました。近江には、渡来系の人々が古代から移り住み、大津には天智天皇が都を置きました。古くからの工芸技術を守る木地師などの集落も残っていて、比叡山をはじめとして、由緒あるお寺や神社も多い。特に安土には愛着があり、何度かお誘いがありました。その地には細川をはじめ信長の元に結集した大名の屋敷が埋まっています。正子さんは「あそこを掘れば、いい茶碗が出てくるはずよ」と楽しそうにおっしゃっていました。あいにく都合が合わず、実現しなかったのが心残りです。
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