物理学者の小柴昌俊(1926〜2020)は、「超新星爆発」で放出された「ニュートリノ」を世界で初めて観測することに成功し、平成14(2002)年にノーベル物理学賞を受賞した。
長男の俊氏は、「父は人との縁に恵まれた」と振り返る。
カミオカンデの実験の始まる前年の昭和57(1982)年、自動車免許を取ったばかりの私は練習も兼ねて、父を助手席に乗せて毎朝大学まで1時間程かけて運転していました。渋滞する中の世間話で父は今の研究の状況、これからやろうとしている計画、研究ライバルの様子等を話しました。私は工学部、父は理学部と学部は違いますが傍で聞いていて興味深いものでした。
ノーベル賞受賞で「小柴昌俊は運が良い」と言われて、父は「ニュートリノは世界全体に降り注いでいた。それを観測できるようにちゃんとカミオカンデを準備していたのは我々だ」と反論していたようです。ただ息子として見た場合、当初の目標だった「陽子崩壊」を検出することができないまま定年退職するはずだった年度末の昭和62年2月に、10万光年以上離れた大マゼラン星雲からニュートリノが飛来してきたことはやはり「運が良い」と思わずにはいられません。
そしてその時に研究組織とカミオカンデを準備できたのには、多くの人の助け、「人の運」がありました。まず父が東京大学理学部物理学教室に職を得たのは朝永振一郎先生の影響があります。父は恩師や恩人に挨拶回りする時、よく子供の私を連れてゆきました。箱根寄木細工のパズルが好きな穏やかな老紳士が、ノーベル賞(お酒の好きな先生は「飲ーめる賞」と仰っていたそうです)を受賞された偉大な科学者であると私は充分に理解できなかったのですが、2人には特別な関係性があると感じたことを覚えています。父は朝永先生の教え子ではなく、先生も「小柴君には物理は教えなかったが酒は教えた」と父の学生時代について仰っていたそうですが、2人を引合せたのは、旧制第一高校の当時の校長で哲学者の天野貞祐(ていゆう)先生でした。一介の学生が校長である哲学者に物理学者を紹介され、それが研究者として世に出るきっかけとなるフルブライト奨学金の推薦や、結婚式の媒酌人等長年の付き合いをしていただくまでになった。なかなか想像し難いことです。また当時、成績が良くないため研究者になるどころか物理学科に進学する事もままならない状況の父に付きっきりで勉強を教えてくれた同級生もいたそうです。
他にも重要な出会いがありました。後に日銀総裁となった松下康雄氏です。実はカミオカンデの実験は理学部→東京大学→文部省→大蔵省といった謂わゆる正規のルートを経たものではなく、父が大蔵省に直談判しに行った時、当時主計局長を務めていた、旧制一高の寮で一緒だった松下氏の大きな助けがあったため実現したそうです。第一高校は全寮制で文系理系を問わず寝食を共にしており、「同じ釜の飯を食った仲」。組織や技術的・専門的な枠を飛び越えて「アイツが言うのだから」ということで協力できる信頼関係を築いていたようです。このような人間関係は高校の一年生で文系と理系を決めてしまい、同じ大学の中でも専門が違えば殆ど知らない人ばかりとなる今の学校制度では得られないかと思われます。
カミオカンデの貢献者たち
その後も様々な人々に父は助けられています。「(父の)誕生日が自分より1日早いから」という理由で光電子増倍管の口径を4倍にしろという無茶振りに応えてくれた浜松ホトニクス(当時浜松テレビ)の晝馬(ひるま)輝夫社長など、カミオカンデに重要な貢献をした人々がいます。父がこの話を得意気にしているのを聞いたとき我が父ながら「なんて無茶な」と思った記憶があります。
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