歌手の藤圭子(1951〜2013)は、ハスキーボイスで女の情念を歌い上げ、一躍スターダムを駆け上がった。兄・藤三郎氏が見た知られざる下積み時代とは――。
よく藤圭子は「赤貧のなかで育った」と語られます。ただ、妹は昭和26(1951)年生まれです。私たちの一家だけが貧しかったのではなく、そのころの日本人はみんな貧しかった。
浪曲師のおやじと目の不自由な三味線弾きのおふくろは、東北・北海道を巡業する生活をしていました。妹は3歳ごろから巡業に連れていかれ、音楽にあわせてテンテコ、テンテコ踊らされていた。可愛い彼女が踊るとお花(投げ銭)がすごかったことを覚えています。
圭子には天才的な音楽のセンスとリズム感がありました。歌を唄わせたら上手いし、ギターも少し教えたら、すぐ弾けるようになる。テレビの時代となり、巡業が廃れていくと、私たち一家は北海道旭川市の神居に定住するようになりました。おやじが左官して建てた、小さな家で暮らしました。姉、私、圭子の3きょうだいのなかでも、特に私と圭子は仲が良く、河原でよく遊びました。
転機となったのが作曲家・八洲秀章氏が圭子の才能を見出し、「東京で歌手にならないか」と声をかけたことでした。おやじは妹に一攫千金の夢を託し、家を売り払い一家5人で上京することになったのです。
ところが東京に来てもプロダクションが決まらず、待てど暮らせどデビューできない。私たちは錦糸町や浅草で唄や演奏をする「流し」で生計を立てることにしました。私は1人で、圭子はおやじとおふくろの三味線をバックにギターを弾きながら唄うスタイル。当時の流しは3曲200円。1日七、八千円から最高で3万6000円稼げるような仕事でした。サラリーマンの初任給が3万円くらいの時代です。流しは稼げたので、私たち一家が貧しいという感覚はありませんでした。
何回か圭子と2人で流しをしたこともありますが、これが1人でやるのと全然違う(笑)。チップが500円、1000円、2000円とばんばん貰える。10代で美人、声もいいからそりゃ財布の紐が緩むのは当然ですよね。
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