若者たちに人気のヒップホップ。ラッパーたちは韻を踏みながら、即興で言葉を紡ぎだしていく。いわゆるフリースタイル・ラップだ。ひょっとしてモンゴルのシャーマンに憑依してくる精霊たちの歌い語りは、フリースタイル・ラップと同じ現象なのではないか。突飛な発想であるが、どちらも「韻を踏みながら、即興で言葉を発する」という点では共通している。
こんな気づきが生まれたきっかけは、2000年頃、モンゴルの東の辺境、ドルノド県の草原でフィールドワークをしていた時のことだ。モンゴルでは1992年、社会主義が崩壊すると、シャーマニズムが劇的な「復興」を遂げていた。当時、私はウランバートルを拠点に、草原と都市を往還する生活を続けていた。草原に数か月滞在し、儀礼に参加して、語りを記録する。首都に戻り、データを整理し、再び草原へ向かう。その反復のなかで、ある音の感覚が私の内側に蓄積されていった。

ドルノドの草原では、シャーマンが頭韻を踏んで精霊を召喚する歌を歌う。一方、ウランバートルではヒップホップが急速に広がり始めていた。ラジオや街頭から流れるモンゴル語ラップもまた、巧みに頭韻を刻んでいた。つまり草原でも都市でも、同じ「韻を踏む音」が聞こえてきたのである。その瞬間、私のなかで二つの世界が重なった。宗教的儀礼と都市文化のあいだに、断絶ではなく連続性があるのではないか、と。
事実、そう思わせる出来事が起こった。2010年、偶然に出逢ったある女性シャーマンが「精霊とは姿ある存在ではなく、言葉そのものではないか」と語ってくれたのだ。精霊の召喚歌を頭韻で唱え続けるうちに、意識していない言葉が自然にあふれ出し、儀礼後には内容を覚えていないのだという。かつてシャーマニズムに懐疑的だった別の男性シャーマンも、同様に「自然に出てきた言葉」に戸惑いながら、それこそが精霊の正体だと語ってくれた。

そもそもモンゴルを含むユーラシア草原の遊牧社会では、押韻を基礎とする高度な口承文芸が存在してきた。モンゴルでは、トーリチと呼ばれる吟遊詩人が弦楽器を奏でながら長大な物語を歌い語る。韻は単なる装飾ではなく、記憶の技術でもある。移動生活を営む人々にとって、書籍を持ち運ぶより合理的だったからだ。
しかし韻の働きは記憶にとどまらない。音に身を委ねることで言葉が生成されるのである。日常の発話が意味を考えながら行われる「意味中心主義的な発話」だとすれば、韻踏みは音を揃えることに意識を集中する「音声中心主義の発話」だといえる。韻を踏むがゆえに発話の意味が壊れることもある一方で、普段では想像もできない言葉のつながりや新しい表現が生み出されていく。韻踏みは、まさに何かが憑依したかのように言葉を紡ぎだす創造的な営為だといえよう。私はこれを「韻の憑依性」と呼んでいる。

こうしてみると、シャーマン、吟遊詩人、ラッパーは、「韻踏む詩人」として同じ系譜に置くことができる。「草原の韻踏み文明」とも呼べるこの系譜は、文字を基盤とする文化とは異なり、音声と身体を媒体とする文化的な技(わざ)の系譜である。韻律は、遊牧社会における記憶・創造を支える基盤装置であった。
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