チャールズ・ロートンは、忘れられていないか。唯一の監督作『狩人の夜』(1955)はカルト映画の極北として誉れ高いが、彼はそれ以前に、巧緻で、倒錯的で、どこまでも悪運の強い怪優だった。ときにケレンを感じさせつつ、その芝居の玄妙な味わいは他に類を見ない。
学生のころ、ビリー・ワイルダー監督の『情婦』(1957)でチャールズ・ロートンを見たとき、私は思わず愕然とした。煮ても焼いても食えないおやじとはこれか、と感じたのだ。浅はかな感想だが、ロートンは若者が最も苦手とするタイプだった。どう攻められても悠然と身をかわし、弱点や急所などはけっしてつかませない。が、高飛車な感じや、計算ずくで人を籠絡してくる嫌らしさはない。むしろ、「海千山千」とか「毒蛇は急がない」とかいったフレーズが頭に浮かび、敬意に近い感情を抱いてしまう。
『情婦』のロートンは、法廷弁護士のウィルフリッド卿に扮していた。心臓病の手術を受けた直後なのに、入り組んだ事件が持ち込まれると、彼は弁護を断らない。依頼人はヴォール(タイロン・パワー)という、半ば無職の色男だった。
舞台は1952年のロンドン。ヴォールは、ねんごろな仲だった裕福な老婦人を殺害し、巨額の遺産を手にした疑いをかけられていた。ただ、彼には戦地のドイツから連れ帰った糟糠の妻(マレーネ・ディートリヒ)もいる。
いかにもいわくありげな話で、ウィルフリッド卿も鼻をうごめかせる。ステッキのなかに隠した葉巻や、魔法瓶に潜ませたブランデーに思わず手が伸びる。
それをとがめる付添い看護師(エルザ・ランチェスター。実生活でもロートンの妻だった)とのやりとりがおかしい。おとぼけや皮肉の掛け合いがなんとも滑らかで、年季が入っている。ロートンはあえて受けの芝居にまわり、狼狽と狡猾と皮肉を絶妙な割合でブレンドする。
この「前戯」があるので、切れ者の弁護士という側面も生きてくる。印象的なのは、ここぞというときに取り出される片眼鏡(モノクル)だ。単眼のレンズが光を強く反射するたび、卿は相手の心理を揺さぶり、攻勢と優位を確保する。ただし彼は、犀利で明晰なだけではない。別のシーンでは、愛嬌たっぷりなうっかり者の側面も、ぽろりとさらけ出す。
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