枯れるときに物語は光を放つ
小野和子さんの名前は2019年に出た前著『あいたくてききたくて旅にでる』で広く知られることになった。
小野さんは今年90歳になる。『あいたくて……』は小野さんから手製の本を渡されたキュレーターの清水チナツさんが編者となり刊行され、映画監督の濱口竜介さんらが文章を寄せている。濱口監督は東日本大震災後の東北を撮るドキュメンタリーのプロジェクトで小野さんと出会い、小野さんが民話の語り手に話を聞く『うたうひと』という映画を撮っている。孫ぐらいの世代の表現者たちが小野さんに刺激を受け、その仕事をもっと世に知らせたいと願って出た本だ。
小野さんは50年以上、東北各地を旅してさまざまな民話を聞かせてもらい、文章や映像に記録してきた。結婚を機に仙台に移り住んだので地縁はなく、飛び込みで、「民話を聞かせてもらえませんか」と一軒一軒訪ねて回る旅の記録で、びっくりするほど面白い。
きれいなわき水を思わせる透明度の高い文章は、読むほどに心が穏やかに静まっていく。さまざまな語りを自分の身体に入れ、一人ひとりの声の調子をそのまま文章にするくりかえしの中で獲得した純度ではないかと思われた。語り手の声は温かく柔らかなのに、地の文からは、聞く行為に対する峻厳ともいえる小野さんの姿勢がにじむ声が時折、聞こえてきてハッとさせられた。
『忘れられない日本人』もまた、民話採訪の旅の記録である。
おもに描かれるのは8人で、いずれも何十年と長くつきあった人たちだ。彼らから聞いた民話を紹介しながら一人ひとりの人生を描いていく。ふつう民話という言葉で連想するのは動物や異界の者が出てくる短いお話だが、小野さんは一人ひとりの苦労や思い出も聞き、結果として豊かな民衆史の世界が広がっている。
聞き手を得た語り手が変化する劇的な瞬間が書き留められているのも興味深い。8人で一番若い佐々木健(つよし)さん(昭和12年生まれ)は民話を語ってほしいと頼まれたとき「語る年齢でない」と断っている。だが小野さんとの出会いがきっかけで幼いころ聞いた民話が激しい勢いで甦り、「頭の中にいっぱいになって苦しいから聞きに来てくれ」と言う。
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