清水建宇「バルセロナで豆腐屋になった 定年後の「一身二生」奮闘記」

梯 久美子 ノンフィクション作家
エンタメ 読書 グルメ

大好物なしで暮らせないので自分で作るしかなかった

 定年退職したら小さな店を持ちたいと考えている人は少なくない。思い切って海外で暮らしたいと思っている人もいるだろう。片方だけでもハードルが高いが、この両方をいっぺんにやってしまった人がいる。

 本書の著者は、バルセロナで豆腐屋になった。海外で暮らしたことはなく、豆腐を作ったこともない。だが、退職後にスペイン語を習い、豆腐屋で修業をし、2年半後にはバルセロナの中心部で開業する。そして、商売を軌道に乗せてしまうのだ。

清水建宇『バルセロナで豆腐屋になった 定年後の「一身二生」奮闘記』(岩波新書)1056円(税込)

 朝日新聞の記者だった著者は30代の終わりに、取材で多くの海外の都市を訪れる。最も気に入ったのがバルセロナだった。退職したらここに住みたいと思うようになり、妻と一緒に再度訪問。「この街なら住んでもいいわ」と了解を取り付けたが、問題は食べ物だった。

 何を食べてもおいしく、食材も安い。だが、大好物の豆腐と油揚げ、納豆がない。それらなしで何年も暮らすことは不可能だ。ならば自分で作るしかない。こうして「バルセロナで豆腐屋になること」が定年後の目標になった。

 定年後も働きたいと思ったとき、多くの人は、それまでやってきた仕事の知識や経験、人脈を活かす道を選ぶ。だが著者は未知の世界に飛び込んだ。背中を押したのは、井上ひさしが伊能忠敬の生涯を評した「一身にして二生を経る」という言葉だった。忠敬は隠居後に全国を測量して地図を作製、71歳までに地球1周分の距離を歩いたことで知られる。

「一身二生」はもともと、福沢諭吉が明治維新の前と後で様変わりした学問の世界を生きる学者のことを言った言葉らしい。だが忠敬は、時代ではなく自分の意志によって前半生とはまったく違う生き方を選んだ。そのことに著者は励まされるのだ。

 ……と、ここまでは思いつきと理想論のミックスで、たいていは考えただけで終わる。だが著者は周到に準備をし、ひとつずつ段階を踏んで実現してしまう。本書では豆腐屋修業から始まって、製造機械の購入、現地での物件探し、改装工事、労働ビザの取得など、60代から海外で店を始めるためのプロセスがつぶさに描かれる。こうした本でお金のことがぼかして書かれているとがっかりするが、製造機械の値段から店の売り上げ、家賃、現地での生活費まで、金額がしっかり記されている。

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source : 文藝春秋 2025年3月号

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