昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

特集2019年上半期の「忘れられない言葉」

2019/08/17

「容疑者」と呼ばれることは社会的な制裁か

 もちろん、逮捕は警察の捜査上のいち手続きにすぎず、犯罪者への処罰行為ではない。メディアの「容疑者」呼称の基準もかなり柔軟で、逮捕前から使われるケースもあれば、稲垣メンバーのように逮捕されても「容疑者」と呼ばれないケースもある(すぐに釈放されたという事情もあるが)。

 ただし実態としては、日本社会では逮捕や「容疑者」呼称が「悪いことをした人への罰」とみなされがちであることはご存知のとおりだ。厳密に言えば法的な裏付けを欠く人権侵害なのだが、日本人の大多数は、これらが実質的な社会的制裁として機能することをおおむね容認する共通認識を持っている。

通産省時代、飯塚幸三氏は1986年から1989年まで原子力委員会専門委員を務めていた経歴もある。『原子力委員会月報』8月号(第31巻 第8号)より

 だが、この手の「悪いことをした人への罰」は成文化されたルールが存在しないだけに、その運用の程度は警察や報道機関の裁量に任される。ゆえに、処置にあたって組織の事情や有力者の意向がある程度は反映される可能性を常にはらんでいる。

警察とメディアの「不透明な仕組み」

 まずは逮捕について考えよう。例えば2017年11月、秋田県警能代署の署員数人が、知り合いの警官の交通違反をもみ消した疑いが報じられた(同様の事件は検索で数多く見つかる)。また2000年には、かつて国家公安委員長を務めたこともある白川勝彦元自治大臣の秘書のスピード違反記録を、新潟県警が組織ぐるみで抹消したことが明るみに出ている。

 もちろん上記は極端な不祥事だろう。ただ、日本では被疑者が警察と一定のコネを持っていた場合、時として捜査の方針や逮捕の基準に一定の手心を加えてもらえる可能性がある――。一定以上の社会経験を持つ日本人であれば、肌感覚としてそんな不自然なムードを感じた経験がある人もいるのではなかろうか。

 メディアの場合は警察と違い民間企業であるため、より恣意的な判断がなされやすい。こちらは某芸能事務所の名前を挙げるまでもなく想像がつくだろう。当然、日々の報道のネタ元になりがちな警察や、カネの出所であるスポンサーに対する忖度も存在している(ようだ)。

現在、飯塚幸三氏を担当し、警察側の取り調べに対しての法的な助言をおこなっている弁護士は、原子力損害賠償紛争審査会の特別委員も務めるベテランだ

 ゆえに、例えば警察のキャリア幹部や敏腕の顧問弁護士といったエリート人材が身近に大勢いるような人物や、本人が名誉を失うことが体制のメンツを潰してしまう可能性がある人物については、警察やメディアが現場の裁量でなんとかできる部分については、多少の手心を加えてもらえる場合もある――。

 実態としてどうなのかはさておき、少なくとも一般の人たちからそういう疑惑を持たれやすい不透明な仕組みは、私たちの社会においておそらく存在している。